こんなお寺です!

〈ご紹介〉
こんなお寺です 【山号・寺名】 古柳山・正福寺(こりゅうざん・しょうふくじ)

【開 基】 元亀元年(1570)、近江源氏の流れを汲む教西(松本権之進定勝)によって開かれる。元、神津村小坂田(現・兵庫県伊丹市)にあったが、飛行場の拡張で現・池田市石橋に移転しました。(※詳細は「お寺の由緒」で)

【宗 派】 浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)。組織的には同派の大阪教区豊島南組に属しています。また宗派を超えた寺院で結成された「池田市仏教会(全日本仏教会の傘下組織)」に属しています。
〈モットー〉
「開かれたお寺」ということです。広さ2,000㎡を超える境内地に、阿弥陀如来像をご安置する本堂と書院・寺務所のある庫裏が、また「一心庵」の名を持つ小集会場や納骨施設を兼ねた「報恩堂」があるほか、文化、福祉、教育など心を豊かにするさまざまな活動を行なっていただけるようにと設けられた「ナムのひろば文化会館(ホール、教室)」があり、仏教精神に則りながら、ご門徒さんは言うに及ばず、地元の方がたや、縁あるすべての人びとに安らぎと充実感を与えるべく法要行事、定例活動(※各「行事予定」欄を参照)を展開しております。また境内には、四季折々に花を咲かせる草花をはじめ、百種を超える樹木が生い茂り、皆様の心を潤しています。令和二年で開基450年を迎えた正福寺でありますが、今後も未来に向けて、人びとの暮らしに寄り添いながら、仏さまのお心を届けて参るお寺にしていきたいと思っています。どうぞ、ご遠慮なさらず山門を潜って、境内にお入りくださることを願っております。
モットー・左 モットー・右
〈主な施設〉

【本 堂】入母屋屋根の伝統的木造寺院建築です。昭和16年に移転し再建したが、建築木材など主なものは元の本堂のものが使われているといわれます。


本堂
阿弥陀如来立像  *ご本尊「阿弥陀如来立像」:内陣正面の御宮殿には、寛永14年(1637)にお迎えした阿弥陀仏像がご安置されています。ご本尊として、それぞれの時代に生きられた人びとの、心の依り所となってくださいました。この寺のご主人でもあられますので、皆様も本堂に上がられましたら、まずは正面の阿弥陀さまに向かわれ一礼していただければと思います。この阿弥陀如来のおすがたは「立撮即行(りっさつそくぎょう)といわれています。救うべき人がいれば「間髪を入れずに立ち上がり行き、その人の前に顕れて救いとられる」おすがたというわけです。因みに、御像の光背(頭光)の数は、阿弥陀如来の誓願(48願)に合わせて48本あります。迷い続ける私たち凡夫を1人漏らさず、その光明の中に摂め取って捨てない(「摂取不捨」)お心を表しています。
親鸞聖人  *宗祖「親鸞聖人御影像」:内陣の左脇壇(向かって右奥)には、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人(1173~1263年)の御影像がご安置されています。宗祖聖人は、阿弥陀如来の一切衆生を救わずにおれないという大悲のお心(光明で表される)が南無阿弥陀仏のお念仏となって、すべての人に届いていることをお説きくださり、その念仏のはたらきを心から信じ受け取ったときに、誰でもが阿弥陀如来の極楽浄土に生まれ、仏となることができるとお示しくださいました。
蓮如上人   *中祖「蓮如上人ご影像」:内陣の右脇壇(向かって左奥)には、本願寺第8代宗主・蓮如上人(1415~1499年)の御影像が安置されています。蓮如上人は、宗祖・親鸞聖人のみ教えを御文章などを通じて庶民にわかりやすく伝えられ、日本人の約4割が本願寺の門徒になるほどに教勢を拡大され、中興の祖と呼ばれています。
聖徳太子像  *また、内陣の左余間(向かって右余間)には、和国の教主で親鸞聖人が観音菩薩の化身と仰がれた聖徳太子像(右)と、お釈迦様が開かれた仏教(念仏の教え)を親鸞聖人まで三国(インド・中国・日本)にわたって伝えてくださった時代を代表する七高僧の連座像(左)が奉献されています。

*内陣の左右欄間壁には、令和3年11月、住職継職法要記念として「極楽浄土図」が設置されました。縦1.3m・奥行4mの左右壁面に、阿弥陀仏の浄土世界が「地」「空」「水」「光」の4テーマに分けて描かれています(写真)。
 制作者は「天使の画家」と呼ばれる寺門孝之氏(神戸芸術工科大学教授、芸術工学博士)で、同氏独特のタッチで、鮮やかな極楽浄土が表現されています。

地の世界  ◎向かって左側手前は「地」の世界。クリスマスツリーのような大きな宝樹を中心に、緑の大地、透き通った水晶の地下、並木などが描かれています。
空の世界  ◎左側奥は「空」の世界。七色の虹や頭が2つで身1つの共命鳥など、極楽に棲むとされる6種の鳥、天女や太鼓までが空に浮かび、自由自在に飛び回ったりしています。
水の世界  ◎右側手前は「水」の世界。摩尼宝珠と呼ばれる宝石の王様から湧き出た清らかな水が蓮池を満たし、川のせせらぎとなってこぼれ出ています。そして、生きとし生けるもののいのちを活き活きと蘇らせるのです。観音・勢至の両菩薩も、一役かっています。
光の世界  ◎右側奥は「光」の世界です。巨大な菩提樹の下、金色に光り輝く阿弥陀さまが大悲の心で法を説いておられます。月と太陽の光が隠れるほどの無量の光ですべてのものを照らしています。その説法を聞こうと、ピンクのイルカやライオンなどの動物たちが集まってきています。

*外陣:約40畳(一部板張りと小舞台含む)の広さがあり、90席のイスを用意して、多くの皆様にお参りいただけるような空間になっています。

襖絵・左 襖絵・右

 また、入口の欄間にはステンドグラス「浄土の情景」(平岡正勝作)が嵌め込まれ、内陣のと間の襖絵は、これも浄土のグラス「浄土の情景」(平岡正勝作)が嵌め込まれ、内陣のと間の襖絵は、これも浄土の蓮池をイメージした絵画が描かれています(島田智博作)。仏さま方を仰ぎ、手を合わそうと思われる方は誰でもお参りすることができます。心を和らげ、寛げる本堂にどうぞお参りください。朝夕(朝8時頃、夕は鐘つき後)にはお勤めしています。時間が合えばご一緒にお参りください。

昼の浄土の情景 夜の浄土の情景

 *サロン室:外陣の南隣りにはご門徒や参拝者らが休憩したり、丸テーブルを囲んで会合や茶話会など幅広く使える部屋があります。同朋の会(お寺の門徒、有志らで構成)の役員会などの会合や、「囲碁の会」や「カメラの会」などの活動の場として使われているほか、本格的な炊事施設を備えていることから、月一回行なわれる「昼食奉仕活動」(近隣の高齢者などへお弁当を手作りして配る奉仕活動)の料理作りにも使われています。


 【一心庵】*山門を入って左側正面に建つ和風建物です。17.5畳の広さにカーペットが敷き詰められ、奥にはお名号の懸けられた仏壇があります。また、簡単な炊事施設にトイレ2ヵ所、押し入れなど、研修会や会合、また家族葬などにご利用いただけます。

一心庵・外観 一心庵01

 【報恩堂】*山門のすぐ南隣にある小さな建物です。阿弥陀仏の御絵像(方便法身尊形)をご安置する中央壇の周囲に、名号を奉献した小さな仏壇の下に、三段に別れた納骨室を設けた納骨壇が16基配置されています。(「納骨のご案内」欄参照)

報恩堂・外観 報恩堂2

鐘楼堂  【鐘楼堂】*石垣台の上に本瓦・切妻屋根の木造建築物で、前の鐘楼は先の大戦で供出しましたが、戦後まもなく総代らが苦労して建物に合う鐘を探し出し、いち早く設置したものです。毎日、日暮れ時(時間は季節によって異なる)に計10打、撞いています。
〈由 緒〉
開基から伝えられている御厨子入りの阿弥陀仏像  正福寺の開基は、近江源氏の流れを汲む松本権之進定勝といわれます。近江国蒲生郡の松本郷に居住していましたが、織田信長との戦いに敗れ、摂津国川辺郡に逃れ、猪名川の東岸・神津村小坂田に小庵を結んで出家し、教西と名のりました。元亀元年(1570)のことです。
 その時の言い伝えが残っていて、「(定勝が)のどの渇きを潤そうと、古柳の下の清水を汲もうとすると、遠くで声がして、〈ここで仏道に励んで、道場を開くとよい。この地は環境が良く、土地も肥えている。人びとも心豊かで健康に暮らしており、よく努めれば栄えるであろう〉と親切に説くのでした。それを聞いた定勝が水に浮かぶ蓮の花の下を覗くと、不思議なことに二寸余り(7センチ)の小さな厨子があって、中に一寸余りの阿弥陀仏のお木像が入っていたのでした。定勝は、驚き感激し、このお仏像を丁重に持ち帰って小庵にご安置し、恭しく尊崇した」というのです。
天明八年建立の墓  正福寺が本願寺派の寺院となるのは、寛永14年(1637)からで、この時、正式に正福寺の寺名が許され、ご本尊・阿弥陀如来像が迎えられました。天明年間(1781~1788)に起こった大飢饉とそれに伴う疫病では、正福寺の寺族・門徒も大きな犠牲が払われたようで、足掛け8年で三代も住職が代わりました。
 文化年間(1804~1816)から寺子屋教育がはじまり、近郷の子弟教育に力を注いだようです。その伝統は明治、大正、昭和に受け継がれ、歴代の住職の多くが学校教師を兼任していました。
 昭和15年(1940)には、阪神第二飛行場の建設により、小阪田が立ち退きとなり、寺基を現在地に移しま人口が増加、新しくご縁を結ばれるご門徒も徐々に多くなりました。また平成5年には、本堂改修と庫裏の改築が完工され、それに伴ってご門徒組織の改革が行われ、広く有縁の方がたにもお寺につながりをもっていただこうと同朋の会を結成、さらに平成24年には北隣接地を取得して寺地を倍増させ、ナムのひろば文化会館や仏塔を建設するなど、仏さまの教えを通して人びとの心を豊かにする正福寺開基以来の伝統を保持、発展させようと取り組み、現在に至っています。
〈同朋の会について〉
 お寺は、社会一般に開かれ、ひとりでも多くの方に仏教に接していただき、人びとに心の安らぎを与え、悩める人びとの救済に取り組んでいくところだと思います。
 そこで、この主旨のもと、正福寺では「同朋(とも)の会」という、お寺の活動を展開するための組織を作りました。昼食奉仕活動や清掃奉仕活動、コーラスや囲碁サロン、それに音楽を取り入れた法要や仏教に親しむお寺塾など、年間30を越える法座・活動を展開していきます。
 門徒の方は門徒会員として、又、他宗派の方も活動に共鳴して下さる方は、個人的に有志会員として参加していただけるよう、広く門戸を開けております。当ホームページで活動をご覧いただき、興味をもたれた方は、お気軽にお寺までお問い合わせください。皆様のご入会、活動へのご参加をお待ちしております。
 尚、会の運営費として年間で、門徒会員の方は 5000円、有志会員の方は 2000円のご負担をお願い申し上げております。

【仏 事】

◆作 法◆

*浄土真宗の仏事・法要は、阿弥陀仏の本願とそのはたらきを仰ぎいただくことが基本であり、つねにご本尊・阿弥陀如来(お名号)に対してお飾りし、お勤めいたします。

*生きとし生けるものを例外なく浄土に救いとり、苦悩から解放させてくださる阿弥陀如来であり、その救いを信じる時、今を喜びの中で生き抜き、死と同時に浄土へ生まれて、自らも仏とならさせていただきます。お勤めの内容も仏壇のお飾りも、その心が基本にあって、行われます。(※住職の著書『新・仏事のイロハ』参照)


◆葬 儀◆

*浄土真宗本願寺派(西本願寺)の作法に則って行います。

*法名をいただかれていない方の葬儀では、式前に帰敬式を行い、法名を授与します。

*正福寺のご門徒以外でも、他のお寺とのご縁がない方の葬儀を行う場合があります。
その際、原則として、正福寺とのご縁をつないでいただきます(同朋の会の会員になっていただきます。※「同朋の会について」欄参照)。


◆法 要◆

*今は亡き大切な方を偲んで、お寺の本堂で年忌法要や命日法要などを行うことができます。

*その場合は、必ず、事前に日時の予約を行ってください。

*ご自宅にお参りを願われる場合は、会員(同朋の会)になることが必要です。


◆納 骨◆

 ①仏塔納骨

*ナムのひろば内にある仏さまを象徴する仏塔への永代納骨です。

*一度納めた御遺骨は返却されません。

*大骨納骨(20万円以上の御懇志)と小骨納骨(5万円以上の御懇志)の二種類があります。いずれの場合でも、年間管理費等は不要です。

※詳細は「仏塔納骨のご案内」欄で―

*宗旨・宗派を問わず、同朋の会会員いかんを問わず、納めることができます。

 ②納骨堂納骨

*仏壇を上部に据えたロッカー式納骨室への納骨です。

*一区画(骨壺4個分の安置可能)を使用する権利を得て、納骨します。

*納骨室一区画の使用御懇志は、38万円以上をお願いしています。

*使用権者は同朋の会会員となることが条件です。

 ③境内墓地納骨

*墓地一区画の使用権を得て、納骨します。

*これは、正福寺の門徒(同朋の会の門徒会員)であることが条件です。


◆結婚式◆

*本堂や会館ホールで仏前結婚式を挙げることができます。

*詳しくは「仏前結婚式のご案内」をご覧ください

〈浄土真宗の教えの骨子〉
*宗名:浄土真宗
*宗祖:親鸞聖人(1173~1263)
*宗派:浄土真宗本願寺派
*本山:西本願寺
*本尊:阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)
*聖典:浄土三部経 『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』
    宗祖の著書 『正信念仏偈』『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』
    中興の祖・蓮如上人の『御文章』
*教義:阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、
    この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人びとを教化する
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