住職オンステージ 正福寺が発行する『正福寺だより』です。

このページでは、正福寺が月に1度発行している『正福寺だより』を掲載します。

2018年4月号

年を取れば取るほどほんものに出遇いたくなる

人の世の虚しさ、はかなさを思い知らされた「証人喚問」

人が何気なく思ったり、行動していることをよくよく考えてみると、二つに分類されるようだ。一つは、取るに足らない、どっちでもよいこと。もう一つは、かけがえがなく、貴重に思えてくることだ。前者はテレビを観るとか、何某かのこだわりや趣味、人付き合いとそれに伴う悩みとか…。仕事も含めて、毎日繰り返している大半のことが該当する。ところが、それらの中でキラリと光る何かを感じ取った時、その一つ一つが後者の分類に瞬間移動する。

たとえば、ご門徒さんの話だが、介護施設におられるお祖母ちゃんを、ある日、お孫さん夫婦が幼い曾孫を抱いて訪ねられたそうだ。すると、ご門徒さんが言うには「私らがいつ行っても、施設のお年寄りたちは誰一人としてあいさつも返されず、知らん顔されているのに、赤ちゃんが行くと、途端に誰もがにこやかに微笑み、手まで振って喜ばれたそうですよ」と。つまり、“ほんもの”の赤ちゃんを目の前にして、お年寄りたちは瑞々しいいのちを感じ取り、そのかけがえのなさに目覚められたのだろう。生き生きとしたお年寄りたちの表情が目に浮かぶ。

そんな話を聞いた数日後、テレビで「証人喚問」が放映された。長々と前置きの説明があり、いよいよ注目の証言が聞けると思った。しかし、その数分後、思わずテレビのスイッチを切ってしまった。言葉は悪いが「あほらし!」という気持ちだった。エリート中のエリートといわれる財務官僚で出世街道を歩んでいた人物が、事の重大さもわきまえず、論理的にも体をなしておらない言葉を恥ずかしげもなく発したのだ。“ほんもの”に出遇えない人間の愚かさ、哀れさ、世のはかなさのようなものまで感じられて、虚しく切なかった。

若い頃詠んだ、念仏詩人・榎本栄一さんの詩を思い出した。

「この仏像の眼は 何十年しか生きない 人間の愚かさ 愛しさを まばたきもせずに 見てござる」(『眼』)

「残りのいのちが すくないので よみたい本だけよみます 耳がわるいので きこえる話だけききます おゆるしください」(『おゆるし』)

年を取るとキラリと光る“ほんもの”にひとしお出遇いたくなるものだ。

2018年3月号

平昌オリンピックで知ったこと

人と人との心がつながった時、感動が生まれる

北朝鮮との友好ムードで始まった韓国の平昌オリンピックだったが、政治的なことはさておき、オリンピック自体に興味が湧き、日本選手の活躍もあって、数々の感動を味わうことができた。

特に印象的なシーンを挙げてみると、

①ジャンプの高梨沙羅選手が銅メダルを取った時に、年上でライバルでもあった伊藤有希選手が駆け寄り、沙羅選手に「よかったねぇ!」と声をかけて強く抱きしめたシーン――。伊藤選手は実力がありながら、沙羅選手の陰に隠れがちな存在だった。この日も9位という不本意な成績だったにも関わらず、沙羅選手のメダルを自分のことのように喜び、また讃えたのだ。沙羅選手が前のオリンピックで悔しい思いをし、その後も重圧と戦い続けてきたことを、誰よりも身近に感じていたのが伊藤選手だったのだろう。心が通い合うことの素晴らしさを知らされた。

②スピードスケート500メートルで、小平奈緒選手が金メダルを取った時のシーン――。1000メートルで銀だった小平選手が念願の金を取り、喜びに浸り切ってもおかしくないところだったが、小平選手の目は、銀となって涙を流している韓国の李相花選手に注がれ、近づいてそっと肩を抱き寄せ、労りの言葉をかけたのだった。過去二度のオリンピックで金メダルを取り、韓国民の期待を背負っていた相花選手の無念さは親友の小平選手にも伝わったのだろう。二人のウィニングランはもっとも感動的なシーンとして世界中に伝えられた。

③フィギュアの羽生結弦選手が金メダルの演技を終えた時、ケガをした右足に手をやったシーン――。「よく耐えて頑張ってくれたね。ありがとう!」と、そんな思いだったのだろう。心は人と人をつなげるだけでなく、人と動物、人とモノ、また人のパーツ(部位)にも伝わるものだ。垣根なく心は伝わるものだ。

ところで、これも気になった―極寒の中、開会式を裸で行進したトンガの選手。クロスカントリーに出て119人中114位だったそうだ。出場したのは貧しい子どもたちに希望を与えるためだとか。その笑顔はきっと世界の子どもたちに通じたことだろう。因みに競技の時は服を着ていたという。

2018年2月号

極寒期にいのちの不思議さと多様性を知る

氷の下の金魚に、水飲む小鳥たちに、ピンクの蕾の梅花…

文字通り“大寒”の日々が続いている。毎朝、山門を開けるために本堂を下りるのだが、このところ、向拝横の天水桶にはいつも分厚い氷が張っている。27日の朝には、氷に加えて雪が積もっていて、境内全体がまっ白に染まっていた。確かに体は寒さで震えそうだが、心は逆に清々しくて気持ちいい。

7年前にも凍てつく池の金魚の話をしたのだが、極寒となった今年の冬もやはり、金魚が気になった。今は庫裏の西側の犬走に水槽を置いていて、生き残った4匹の金魚を育てている。4匹といっても、尾っぽまで入れると25㎝はあろうかという大物を筆頭に、一番小さな赤い金魚でも10㎝はある。つまり、皆んな大きくて、よく食べるのである。私が近づくと、水面に顔を出して、パクパク口を開けてエサの催促をする。それが日課になっていた。

ところが、その水槽も凍ってしまって、エサがあげられない。氷の下の金魚たちもジーッとしているので、恐らくエサは必要ないのかもしれない。そうは思うものの、冷たい水の中でエサももらえず、ただじっと耐えるしかない金魚の気持ちを考えると、何かしてあげたくなる。そこで、水槽の氷を割って取り出し、水中の金魚たち目掛けて、エサを勢いよく投げ入れたのだった。はたして金魚たちの反応は……。依然として動きは鈍いまま。エサは必要ないのかもしれないし、動きたくても動けないのかもしれない。ここは金魚たちにお任せするしかないだろう。

金魚の水槽がある前栽の庭には手水鉢があって、絶えず少量の水が流れ込んでいる。陽が高くなり、手水鉢の氷が解け始めると、連日、たくさんの鳥たちがやってくる。ヒヨドリにスズメ、その他、名前の知らない数種の小鳥たちが、替わる替わるやってきては、解けた水をおいしそうに飲んでいくのである。言葉は聞こえないが、鳥たちはお互いに「ここに水があるぞ!」と知らせ合っているに違いない。

そうかと思えば鐘楼前の梅が、蕾をピンク色に膨らませているのに気づいた。寒い中で、さまざまないのちが躍動し、その不思議さと多様性を発揮しているのを知った。

 

2018年1月号

確かなるもの〈仏の大悲心〉に抱かれて歩もう!

邪見・驕慢の悪衆生、人間のお粗末さが見えてきた

本年で最後の年号となる平成30年を迎えた。昨年は、政治家の暴言や不適切言動が世間を騒がせたが、経済界でも自動車や鉄鋼の大手メーカーが、不正な検査や不良商品の販売を行っていたことが発覚、メイド・イン・ジャパンの信用を損ねた。新幹線の重大トラブルやメディアの偏向も気になる。

日本は法治国家といわれるが、その法の網に綻びが生じてきているようだ。もとより法の規制だけで人間の心をコントロールできるはずもない。だが、それが可能であると錯覚し、「善良な」人びとのみを社会構成員とみなして作られた組織や制度に、ただ胡坐をかいていただけだったのではないか。

組織の上から人間を俯瞰しても、人の心は見えない。しかし実際には欲望、不満、怒り、嫉み、驕慢など醜い心が内在している。表面上、法律・規則を順守する「善良な人」であっても、縁があれば、先の煩悩が頭をもたげて「不善なる者」に変身させる。人間はいのちの尊厳とともに、そうしたドロドロとした煩悩を合わせ持っている存在なのだ。その煩悩が今、制度や組織の隙間からドンドンとこぼれ出ているのだ。

さらにいえば、個々の人間関係が破綻する事例も数多い。親が子どもを殺め、子が老いた親を殺める。先生と生徒、先輩と後輩、友人、恋人でもそうなのだろう。大相撲界でもそうだった。暴行事件の背後に、後輩を思う心と、先輩や集団を気遣う心があって、その間で心が揺れ動いたのではないか。それが最悪の形となって表れた。「勝つことがすべて」という論理が罷り通っていたとすれば悲しい。心を翻弄させた遠縁になったともいえよう。

要は、人間の「お粗末さ」が露呈した一年だったということだ。まさに「邪見驕慢悪衆生」である。そんな私たちができることは何か-?善人ぶるのではなく、自己放棄するのでもない。ただこれに依って生き、これに依って死ねる確かな依り所を持って歩むことだ。その依り所が「仏の大悲心」という真心だ。親鸞聖人の和讃に「弥陀・観音・大勢至 大雁の船に乗じてぞ 生死の海に浮かみつつ 有情を呼ばうて 乗せたまふ」がある。「み仏の呼び声」が念仏となって私を包んでくださる。それを念頭に、今年を歩もう!

2017年12月号

その土地土地の自然と暮らしを大切にしませんか!?

《天皇陛下の離島ご訪問で思う地方再生のあり方》

「地方の時代(をめざそう)」――と叫ばれて久しい。しかし、現実にはそれとは真逆で、大都市、特に東京一極集中がますます進んで、歯止めが効かなくなっている。

一応、政府は、地方創生担当大臣を置いて地方重視の姿勢を見せているが、どうも基本的な発想が、都会の論理をそのまま地方に移しただけのようで、自然豊かな土地に近代的な施設を建てたり、都会と同じような科学・教育・文化機関等を誘致して、自然と共生してきた住民の生活を結果的に壊しているように思えてならない。国家戦略特区と銘打ち建設されている愛媛県今治市のあの加計学園・獣医学部の巨大な学舎は、その象徴的存在だろう。

私自身、最近訪れたいくつかの地方都市のターミナル駅がどれも皆、同じに見えたのも、残念なことだった。新潟、仙台、青森、札幌、旭川、鹿児島中央、金沢……。駅構内の施設も駅前風景も皆、似たり寄ったりで、つまり同じ発想から生まれているのだ。それは利便性、機能性、安全性(セキュリティー)、デザイン性などだろうが、そこからは、その土地の匂いが伝わってこない。人間味が伝わってこない。地元の商店街が廃れ、駅ビルの大規模店舗に人が集まる仕組みができてしまった。それらの地方都市に降り立っても、東京や大阪と雰囲気として少しも変わらない。つまり、その土地に来たという実感が沸かないのだ。

そんな中で、11月中旬、天皇皇后両陛下が(東京から)遠く離れた奄美群島の離島を訪問された。一昨年、大噴火で避難した口永良部島の島民にねぎらいのお言葉をかけられ、今の暮らしぶりについても尋ねられたようだ。また与論島では、伝統の舞踊を鑑賞され、沖永良部島では、地場産業である黒砂糖作りをご覧になられた。過疎の暮らしを営む島民たちの感激と喜びが目に見えるようだ。

遠隔地や島々への旅が「天皇の象徴的行為として大切なもの」と感じておられる陛下の思いは、その土地土地の自然なり、暮らしを大切する生活であってほしいということでもあろう。それを行動で表されたのではないか。

「発展」の名の元に価値観を均一化、同質化していくことへの危惧と、さまざまないのちの個性と持ち味を尊重していくことの大切さを、改めて思い知らされた陛下の離島ご訪問だった。

2017年11月号

超大型台風で呼び覚まされた大自然への畏敬の念

《人間の力に対する過信と驕りへの警鐘とともに…》

何十年ぶりと言っていいだろう、風の威力に身の竦む思いがしたのは―。日本列島を襲った超大型の台風21号のことである。お寺にほど近い大阪空港の観測地点では、23日午前1時過ぎに最大風速23.7m/s、最大瞬間風速36.5m/sを計測し、40年前に観測を始めてから過去最大の値を記録した。横殴りの激しい風雨に道路標識や電線が大きく揺れ、夜空をヒューヒューと鳴り渡る風音に不気味さを感じたが、幸い、お寺では大した被害にはならなかった。もっとも、被害に遭われ方、犠牲になられた方にはお見舞いとお悔やみを申し上げねばならない。が、全国的に見ても、甚大な被害にまでは至らなかったようだ。防災意識と対策が進んだからだろうか。

振り返ってみると、私が子どもの頃は毎年、大きな台風が来ていたように思う。中でも、昭和34年の伊勢湾台風と同36年の第二室戸台風は恐ろしかった。我が家がメリメリと音を立てて揺れ、屋根が吹っ飛ぶのではないかと心配するほどの強烈な風だった。上陸する前から、玄関から続く一番安全な部屋に、家族全員が集まり、布団を被りながらローソクの灯を頼りに、ひたすら台風が過ぎ去るのを待った。自然の巨大な力を目の当たりにして、人間は慎ましく振る舞うしかなかったのだ。

とは言え、台風は我われに心的苦痛や物的損害だけを与えるものではなかった。私の場合、休校になった喜び(解放感)?もさることながら、家族が一つ部屋に長時間、一緒に過ごせたことが何よりもうれしかった。今でも、その時の家族の連帯感というか、温もりが蘇ってくる。

さらに、人間の力や人間の目線を遥かに超える自然の大いなる営みに、間近に接する機会を得たと言えよう。その威力と厳粛さは、一種の感動を伴って畏敬の念を呼び覚ますものだった。

今、防災設備や技術も含めて、人間の力の成果は日進月歩している。しかし一方で、人間の能力への過信から、驕りの心が頭をもたげているように思えてならない。だが、どう頑張っても、威勢を張っても、大自然の摂理や営みに人間が太刀打ちできないことを知るべきだろう。人間が自然を超えたと思ったその時、人間そのものの消滅が待っている。

2017年10月号

イソップ童話「北風と太陽」から学びたいこと

《力で抑えるのではなく、相手の恐れる心や不安を取り除く心がけを!》

子どもの頃、読み聞かされたイソップ童話「北風と太陽」が蘇ってきた。核・ミサイル開発を強引に推し進める北朝鮮に対し、敵意を募らせて、緊張を高めているアメリカと日本のことを思ってのことだ。
このまま対立を深めて「力には力を」の論理を押し通せば、やがては「武力には武力を」となっていくのではないかと危惧される。過去の歴史を見てもそうだろう。恐れが脅しとなり、不安が暴力を生む。その元となる「恐れ」「不安」を相手の心から取り除かなければ、根本問題は解決しない。
北朝鮮を旅人に例えるのは少々無理があるかもしれないが、その旅人にどう向き合うかという点に絞って冒頭の童話を見ると、北風が旅人の上着を脱がそうとして、冷たい風をいくら吹き突けても、旅人は頑なに上着を纏い続け、逆に、太陽が温かい光で旅人を照らすと、旅人はみずから上着を脱いでくれたという話だ。つまり、力を使って相手を承服させようとすると失敗し、力ではなく、誠意で相手を包めば、自ずと心を開いて、同調してくれる、ということだ。子ども心に、私は「なるほど」と感心したものだった。今もその印象は変わらない。力で押さえつけるのではなく、力を入れずに、真心で接触し続けて相手を安心させることだ。
この28日、国会が解散され、総選挙へと動き出した。安倍首相は、この解散を「国難突破解散」と名付けたそうだ。何を指して“国難”というのかは知らないが、もし北朝鮮の脅威に対してなら、国民の敵愾心を高め、武力への備えに向かわしめる効果を狙っていると勘繰りを入れたくなる。
しかし、もし国民生活が“心豊かな暮らし”から遠ざかりつつあるという危機感を表現したものであれば、今後の社会福祉の充実に期待したい。
お釈迦さまの晩年、滞在しておられた大国・マガダ国の王が、小さな隣国・ヴァッジ族の国を攻め落とそうと企んだ。その時、お釈迦さまは「ヴァッジ族の皆が話し合いで物事を決め、法を尊び、他所から来た修行者も敬い、お年寄りや女性を大切にして、心穏やかに暮らしている。そうしている限り、国は滅びることはないだろう」と告げられた。それを聞いたマガダ国の王は、征服を諦めたと伝えられている。今、世界に望まれている心だと思う。

2017年9月号

人は「生きている時がすべて!」なのか?

《無量のいのちに願われている私だとしたら…》

漫画家で人気タレントの年配男性が、日頃会うことの少ない息子さんと一緒に旅する番組がテレビで放映されていて、たまたま観ていたのだが、旅の終わりに、父親のタレントが息子に語った言葉が気になった。-「(親である)僕のことは忘れて、自分の家族だけを見て生きていけばいい。(やがて)死んでいく者に思いをかけても、死んだら何もかもなくなるから、放っておけばいい。生きている時がすべてなんだから…!」と。これは、息子に「(自分のことで)煩わさせたくない」という気持ちを表したものとも思われるが、それならば、遠慮せずに、正直な本音を言えばいいし、それよりも、生きていることにしか価値を見出せない人生観に、寂しさと危うさを感じた。

確かに、最近は「(息子や嫁に)迷惑はかけたくない…」という声をよく聞く。「子に遠慮する」というのと、特に老後の介護については「自分が惨めになる」という理由を上げる人もいるかもしれない。

しかし、誰もが経験しなければならない人生の「生・老・病・死」をもっとも近い肉親を通して、目の当たりにし、関わることによって、自分の問題にすることができるというものだ。「嫌だから、鬱陶しいから、関わりたくない」と思っても、「明日は我が身」である。こうした希薄な人間関係は親子だけでなく、人間関係全般に見られるようになってきている。亡き人の御恩を思い、亡くなってもなお、消えることのない心の絆を確かめる「葬儀」の意義や厳粛さも感じず、亡き人や先祖の願いを聞き続けて自己の人生の糧とする縁作りの「仏壇」や「お墓」、そこで営まれる「仏事」も疎かにされる傾向にある。それで、いのちの不思議さ、かけがえのなさ、尊さ、そして有り難さを、自分自身の心に刻み付けることがはたしてできるのだろうか。

阿弥陀如来は、すべてのいのちが生死を超えてどこまでもつながり合い、生かし合い、支え合い続けていることを、光明と念仏となって、一人一人に知らせ、大悲の心で目覚めさせようとはたらいてくださっている。

その量りなきいのちのまこと心に願われ、照らされている人生だと知れば、きっと生死を超えて、多くのいのちの御恩を喜び、麗しく生きることができる身になることだろう。

2017年8月号

奥深い心の苦悩は、仏の真実に触れて安堵へと変わる

《最後の叔父の逝去で移りゆく“いのち”の営みを思う》

先日、私にとって五人いた叔父の中で、最後まで残っていた母方の叔父が、この世を去った。満88歳だった。寂しさは募るが、私も66歳になっていることを思うと、現実を受け入れるしかない。それどころか自然の摂理というか、移りゆく“いのち”の営みを目の当たりにしているようで、心の引き締まる思いがする。

と同時に、これまで繰り返し、教え諭されてきた「浄土往生」の死生観の確かさを、私自身、改めて味わうご縁ともなった。

叔父が亡くなる1週間前、新しく移った病院へお見舞いに行った。数ヵ月ぶりのお見舞いだったが、その時は、まだ元気そうで、約1時間、いろいろとお話することができた。病状や治療の話、日常の過ごし方の話のほか、政治や社会、経済の話までが話題となった。一通り話した後、私は持参した御厨子型ご本尊を取り出し、病室に置いてもらえたら有り難いと、遠慮がちに言うと、叔父はすぐに反応し「毎日、手を合わせて、阿弥陀さん、よろしゅう頼みますと拝んでいたんやで。これは有り難い!」と、心から喜んでくれたのだった。「阿弥陀さまがおられることで、安心と温もりを感じる日々を送ってほしい」-そんな私の願いが届いたようで、うれしかった。

日ごろ、話すことのない、内面の奥深いところにある心、肝心カナメのところが、実は、苦悩し、つねに揺らいでいるのが私たち人間だ。表面的な対処法では太刀打ちできない。根源的、本質的な真理、真実に触れることによって、私たちは初めて苦悩が安堵に変わり、迷いに希望の光がさしてくる。そして孤独から、つながりと共感へと変わることになる。

そんな言葉を実際に述べたわけではないが、阿弥陀さまの話題を通して、叔父と私は、お互いの内なるこうした心を確かめ合うことができたと思っている。最後には、手と手を固く握りしめて何度も上下に振りながら、言葉にはならない思いを交わし合った。気が付くと私の眼からは涙が流れ出ていた。

葬儀後の収骨の際、叔父が晩年、悩まされ続けた胆嚢がんの痕はかけらも見当たらなかった。ただ白骨のみがそこにあった。叔父の心は、すでにお浄土で私の母や祖母に会っているに違いないと思った。(住)

2017年7月号

海老蔵夫人・麻央さん、人びとに感動与えて“往く”

《現代の「天人女房」のごとく「只人には非ず」ならば…》

歌舞伎役者・市川海老蔵夫人の麻央さんが亡くなられた。

結婚して7年、幼い二人の子どもと愛する夫を残して、34歳の若さで「往って」しまわれた。麻央さんは、進行性の乳ガンと知ってからも、現実から目を逸らさず、自分の思いをインターネットのブログで語り続けて、同じ病気で苦しむ人たちはもちろん、多くの人びとに勇気と感動を与えてこられた。悲劇的状況の中で、最期まで明るさと健気さを貫かれた人生は、現代のヒロインであったといえよう。

翌日行われた海老蔵さんの記者会見を聴いて、私は、麻央さんが「天人女房」に思えてきた。天女が地上に降りてきて水浴びをしている間に、近くにいた男が羽衣を盗んで、天女の自由を奪い、自分の妻にして、子どもを儲ける話だ。やがて、妻は羽衣を見つけて、天に帰っていくのだが、概して、先立たれた妻を持つ世の男は、少なからず思い当たる節があろう。

つまり、あらゆる可能性を秘め、希望に満ち満ちた若い娘を、男は自分の妻にすることによって自由を奪い、自分だけに愛情を注がせ、縛り付けてしまうのだ。その妻の愛がひたむきであればあるほど、男は、身に染みて懺悔と深謝の念を抱くのではないだろうか。妻の死は、単に天女となって帰っていくだけではなく、堪えようのない辛さを、男にもたらすことになる。

海老蔵さんの会見はそれを如実に表していた。一つは、麻央さんが最後に「愛してる」といって息を引きとったことを、胸の奥深くで受け止めるかのように語ったことだ。暴行事件を起こした時もずっと寄り添っていたことを、海老蔵さんは思ったかもしれない。それが「(麻央は)私を変えてくれた人」という言葉になったのではないか。さらに、「人ではない。何か…、すごい人だなぁ―」とも語った。海老蔵さんにとって、自分を一人前にさせるために天から舞い降り、そして帰っていった「只人ではない」存在だったのだろう。

奇しくも、7月7日は七夕である。天女であった織姫を妻にした牽牛が、年に一度、天に戻った織姫に会いに行ける日である。麻央さんが「只人には非ず」だとすれば、天国ではなく、お浄土の菩薩さまだったとも言える。そうなれば、これからも何時だって会えることだろう。

2017年6月号

苦を超えていく人生の歌声が、心を震わす

小脳梗塞発症後も音楽制作続ける北條不可思さん

お寺にご縁のある人なら、「北條不可思」という名を覚えておられる方も多いことだろう。もう20年近く前になるが、我が寺の報恩講や大阪市内のホールなどで何度か「縁絆コンサート」なる催しを行って、心に沁みる歌を聴かせてくださった「歌うお坊さん!」だ。

仏の大悲心を浴びて、照らし出された己れの姿と心を、詞と曲に乗せて発信し続けていた最中の7年前、突然、小脳・脳幹梗塞で倒れ、生死の境をさまよわれた。幸い、命を取り留めた不可思さんは自宅に戻り、療養を続ける傍ら、ギターを持って、再び音楽制作活動を始められる。月に一度のレコーディングを繰り返され、このたびCD「Documentation Series Vol.1」(5枚セット)を完成された。

その間にも、脳性マヒの一人息子さんが心肺停止に陥り、在宅医療となって奥様が24時間看取り続けられているうちに、今度はその奥様が静脈血栓・肺塞栓や重度の貧血、子宮筋腫になるなど、危機的な状況が相次いで起こった。後遺症で何もしてあげられない不可思さんにすれば、そんな無力な自分を責め続けられたに違いない。否応なく襲う人生の試練?に遇われながらも、不可思さんは「今できることは、歌うこと」「本願念仏に遇えた不思議なご縁に生かされている――恵まれた命を精一杯に生き抜くこと」と、ぶれない“佛地”に自分自身の心根を置いて曲を作り続け、歌い続けられているのだ。

その渾身の歌を少しでも多くの皆様に聴いてもらいたいと思う。私の心を打った数多くの曲の中から、一曲、その詞をご紹介しよう。曲名は「風が葉を揺らす」(シリーズNo.5「聴聞」より=   https://www.youtube.com/watch?v=f1VTvknklvY )

♪風が葉を揺らす 姿見えねど

命が揺れている 確かに揺れている

Ah-Ah- 夢物語

切なく哀しい無常の物語

雨は降り続く 乳飲み子は泣きやまず

それでも風は 葉を揺らす

すべてを超えて

風が葉を揺らす 姿見えねど

風が葉を揺らす 命が揺れている※

どこかで鐘が鳴る 姿見えねど

命を呼び覚ます 産声をあげている

Ah-Ah- 夢物語

切なく哀しい無常の物語

雨は降り続く 乳飲み子は泣きやまず

それでも風は 葉を揺らす

すべてを超えて

風が葉を揺らす 姿見えねど

風が葉を揺らす 命が揺れている♪

聴いているうちに目はじっと我が心の奥を見つめ、その心は震えていた。

2017年5月号

自己本位を押し通すと他者の心が見えない!?

〈{高速道路催眠現象」で思うこと〉

大型連休に入る直前に、テレビで「ガッテン!交通事故から家族を守りたいSP」という番組が放映された(NHK)。連休には、人びとが一斉に出かけて混雑と混乱が生じるわけだが、交通事故も毎年一万件ほど発生しているらしく、特に高速道路では近年、逆走やブレーキとアクセルの踏み間違い、接触事故、追突事故が多発している。それも高齢者だけでなく、どの年齢層でも起きているというのだ。

最近の研究でその原因がわかってきて、我々人間の目と脳の仕組みにあるという。結論をいうと、一点だけを見つめていると、周辺部の認識が疎かになり、そこにある物を映像では捉えているものの、脳では(その危険度の)判断ができない状態になってしまうという。「高速道路催眠現象」というのだが、ともあれ、目に入る視界全体を満遍なく捉えてこそ、異常な(あるいは関心を向けるべき)動きに瞬時に反応することができるというのだ。剣道の達人が相手のどんな動きに対してもすばやく反応するのも、将棋や囲碁の名人が相手を唸らせる妙手を直観的に打つことができるのも、局面全体を見通しているからこそといわれる。

考えてみれば、今の日本には、「スマホ歩き」をはじめとして、自分がしていること以外に関心を向けない傾向にある。自分の周りにいる人びとがどう感じ、どう行動しているかに目を向けず、ただ自分の関心事の一点だけに目を奪われて、周辺で何が起こっているか、その重要度や、自分との関わり具合を認識し、適時に判断する能力が欠けてきているように思えてしかたがない。

これは日本社会全体の深刻な問題だろうと思う。一つのことにこだわり、「これが正しい」と自己本位な執着心を押し通すと、取り返しがつかないほどの大きな犠牲が生じることにもなる。一人一人の国民の意識の問題だけでなく、国家という組織でも同じことがいえるのだと思う。

すなわち、一つの存在なり、その行為に対して、敵とみなし、憎悪を増大させ、力によって排除していく方法は、いわば「一点しか見えない」現象だ。昭和天皇や今上天皇が、切に願われ、また願っておられる「平和国家」の在り方を、人類や地球規模で見通せるか、それが今、国民一人一人に問われている。

 

2017年4月号

正福寺に「春が来た!」

大自然の息吹を感じることの大事さ思う

毎朝、山門を開けに本堂から境内に降りるのだが、この時期になると、境内の様子が日に日に変化するので、楽しみになる。

枯木のようだったモミジの枝々に赤い芽が付き、やがてどんどんと膨らみ始める。カリンの木は、すでに若草色の青葉を広げ、空に向かって延び続けている。つい10日前までは、姿かたちもなかった土筆が、ここ数日で一気に頭をもたげ、あちこちに群生している。特に北側の溝沿いはラッシュアワー並みの混雑ぶりだ。鐘楼堂の下では、早い時期から梅の花が咲き、次いで、赤いボケの花が満開を迎え、もう散り始めている。

意外だったのは、ナムの会館の東南隅に置いてあった10数個の小さなポリポットの菜ノ花たちだ。なんと容器を突き破って地面まで根を伸ばして成長し、鮮やかな黄色の花を咲かせているのだった。間違いなく陽光は明るくなり、空気も和らいでいる。その微妙な変化が心地よい。

「春が来た」という童謡が心に浮かぶ。

♪春が来た 春が来た どこに来た

山に来た 里に来た 野にも来た

四方を見渡して、どこにでも春が来たことを感じれる風景がそこにはある。

二番、三番の歌詞では、花が咲き、鳥が鳴く。すなわち、到る所で春を感じるのだ。こうした自然の営みを通して、いのちの息吹を味わえるのは何とも有り難いことと言わねばならない。

都市化が進んで、人工物ばかりに囲まれている現代人の生活、ギスギスと尖った心になるのも無理はない。そんな環境の中で、いかに大自然の息吹を感じていくか、これが実はとても大事なことのように思えてきた。境内から本堂に上がり、阿弥陀さまのお顔を拝しながらお勤めをする。その穏やかな一時(ひととき)は、ぜいたく極まりないということなのだろう。

2017年3月号

風が舞い、雪が舞い降る北国の静寂と温もり

物騒な雑音ばかりが聞こえるご時世に、雪と温泉の青森へ

この冬、1泊だけお休みをいただいて青森まで出かけた。雪見たさと温泉に浸かるのが目的だったが、青森行きの飛行機が欠航したため、仙台まで飛んで、そこからは新幹線で青森入りすることにした。

当然のことながら大幅に遅れて、新青森駅に着いた頃には、とっぷりと夜の帳が下りていた。宿へは、在来線の列車で弘前まで行き、さらに乗り換えて碇ヶ関という小さな駅まで行かねばならない。まだ2時間近くはかかる。

予定は未定になるのが旅の常だが、それが却って、思わぬ収穫を得る場合もある。というのも、新幹線に乗ったおかげで、東北地方の風景が「明」(陽射)から「暗」(降雪)に変わりゆく一瞬を目にすることができたし、新青森駅の在来線ホームに降り立った時の凍えるばかりの静寂感も得難かった。飛行機なら体験できなかっただろう。

それにしても、目に入る光景の一つ一つが、街中の風景とは違っていた。風が舞い、雪が乱れ降る。しかし、なぜか温もりがある。その感覚は、弘前、碇ヶ関へと列車が進むにつれ、増していった。車内は通勤・通学客が大半を占め、手に傘を持ち、長靴を履き、コートを着て、ある人は眠り、ある人は本を読んでいた。スマホをいじっている人はいない。家路に着く前のつかの間の暖を車内で取っているのだろう。外窓には、かき氷みたいな細かな雪の塊が無数にへばりついていた。

終点の碇ヶ関で降りたのは三人。よそ者は私一人である。しばしホームに佇み、一面の雪と静けさを噛み締める。心の奥深いところで情感が蠢く。映画「駅ステーション」の一シーンが目に浮かぶ。冬の増毛町の飲み屋で高倉健と倍賞千恵子が出会う場面だ。八代亜紀の「舟唄」が流れる。「♪お酒はぬるめの燗がいい」―屋外の寒さと店内の温もりと、その二つが心の中で交差する。雪景色と人の温もりを同時に感じさせる歌が今一つある。森進一の「北の螢」だ。「♪山が泣く風が泣く 少し遅れて雪が泣く… 赤い螢が翔ぶでしょう… ♪ホーホー螢翔んで行け…」―白い雪と赤い螢(情念)が、これまた私の心を揺り動かす。

物騒な雑音ばかりが聞こえるご時世、温泉に浸かって、「♪しみじみと」人の情の温もりを味わうことができた。

2017年2月号

トランプ大統領だけじゃない「やられたらやり返す」世界に…

「押されたら引いてみる」―譲り合いの精神の復活を!

トランプ米大統領が就任早々、次々と大統領令を発して、アメリカ第一主義を推し進めている。日本にもトヨタを名指しで、日本車がいかに“厚かましく”乗り込んできて利益を貪り、アメリカに不利益を被らせているかと不満を述べ、「やられたら、やり返す」姿勢を鮮明にしている。

しかし、攻撃的なのは、何もアメリカに限ったことではない。北朝鮮をはじめ、中国、韓国、そして我々日本国も、国の威信や安全を持ち出して、お互いに隣国を批難し、警戒や対抗意識を高めているのではないだろうか。

日本の防衛論が憲法改正と合わせて、語られ始めているのがその表れと言える。もし、北朝鮮が弾道ミサイルを発射して、はたして自衛隊は防衛できるかという話で、宇宙空間に達した時と、再び大気圏に突入してきた時の二度にわたってミサイルを撃ち落とす迎撃ミサイルが一応あるとしながら、安全が保障されるかと言えば、ほとんど無理で、より安全性を高めるには、もっと超高速のミサイルを多数配備する必要がある、ということらしい。

それ自体、「力には力を」「+には+を」と、頭突きの応酬と同じ発想だなと思った。攻撃に対して、同じように攻撃し(迎え撃っ)たのでは、双方が破壊されてしまう。力で押してくれば、引いてみることだ。拳を突き出せば、掌で受け止めればいい。「+には-で」対応する。男と女のように、だ。

不空羂索観音菩薩という仏さまがおられる。羂索というのは、獲物を捕まえる縄とか網のことで、悪道に赴く私たち凡夫を、縄や網(羂索)でもれなく(不空)救い取って安心の絆で一つに結んでくださる観音さまのことだ。この縄や網は破壊する武器ではない。攻撃しても、やんわりと受止め、逆におとなしくさせてくれる用具と言えよう。ミサイルが飛んできても、網のようなもので包み込んで、何事もなかったかのように静かに収まっていく、そんな攻撃を無力化する兵器?の開発に取り組めばいいのに、と心から思う。

国のことではない。人と人の関係でも、自分の主張を通すことに躍起になっている昨今だ。相手を攻撃するばかりではなく、時には少し下がって、譲り合ってみてはいかがか?―2月12日は「ダーナ(布施)の日」である。

2017年1月号

ここまで進んだIT,BT革命、さて人間どうなる?

〈人が人を改造し、あげく知的ロボットに使われるハメに~〉

年の瀬に、現代思想の動向が知りたくて、久しぶりに大型書店に寄ってみた。店頭に山積みされた多くの本の中から『100年時代の人生戦略』と『いま世界の哲学者が考えていること』の2冊を買って帰り、今、読み始めたばかりなのだが、内容を見ると、人類社会の変動の速さと、それが招く事態の深刻さに、驚きと戸惑いの思いを禁じ得なかった。

たとえば、『いま世界の…』では、AI(人工知能)が近い将来、人間の知能を超えるとされ、そうなると、ロボットと人間の立場が逆転。知的ロボットに人間が使われることになるだろうという話とか、何より怖いのは、BT(生物工学)革命が進み、人間の意思で遺伝子を組み換え、都合のよいような人間を生み出す?ことが、現実になりつつあるというのだ。つまり、ナチス時代の国家による人種政策とは異なるものの、個人レベルにおける優生学(優れた遺伝子を使って人類の進歩を促す考え方)が語られ始めているという。また、不老不死が絵空事ではなくなるとも―。

読んでいると、ここで語られる人間は「健康で、能力が発揮でき、社会に役立つ存在」を前提にしているようだ。

ともあれ、科学技術は、すでにそこまで進んでいるのであり、それにどう対応するのか、活用の是非と選択が今、人類に問われているのだ。つまり、何を重んじ、何に価値を見出すかだが、それは多分に宗教の問題でもある。

「有能で社会に役立つ」人間――で思い出すのは、昨年の相模原・障害者施設殺傷事件である。重度障害者を「社会のお荷物」視し、凶行に及んだ被疑者とその背景にある社会に対して、あるテレビ番組で語った知的障害者の言葉が心に沁みる。「むちゃくちゃ怖い。でも絶対生きていかなあかんし、生きててしかたがない人なんか一人もおらへん!…」

いのちの重みを感じているのは、果たして「どちら」だろうかと思う。

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雪がチラついていた今朝、鐘楼堂前の梅がピンク色の蕾を着けているのに気がついた。前年は、移動させたからか、花は咲かなかった。それが二年越しに咲くわけだ。いのちの不思議、自然の営みのすばらしさを感じた。(住)

 

2016年12月号

死んだ本物の魚を氷漬けした上を滑った気持ちは?

あらゆるいのちを尊ぶ日本人の心を取り戻そう!

死んだサンマやカニなど、本物の魚介類5000匹を凍らせ、その上を人が滑るという「奇抜なアイデア?」のスケートリンクが北九州に登場したが、利用者らの不評、反感を買って、開業後、わずか半月で中止に追い込まれたというニュースが先日、報じられた。

あらゆるいのちを慈しみ、尊ぶこころが日本人にはまだ残っているのだと思う一方、ややもすれば、人以外、あるいは自分以外のいのちは、「物」や「道具」のように見、そして扱いかねない危険性も高まっているのだろうとも思った。

現に、企業側は「海の上を滑る感覚を味わってもらおう」と、臨場感を演出する「道具」として、本物の魚の氷漬けを思いついたようだ。また、この出来事を紹介したテレビ番組の司会者も、「楽しんで滑っている人が多ければ、中止する必要もないのでは?」と、中止を残念がるようなコメントを発していた。

しかし、やはり、これはいのちをどう見るかという大切な生命観、人生観の問題であり、その点、皆が注目し、考える機縁になればいいと思えるニュースだ。

中止後、この業者は魚を取り除いて「供養する」という。日本では、昔から、私たち人間のために役立たってくれたさまざまな生き物に対して、仏教の供養になぞらえて「○○供養」と名付け、感謝の気持ちを捧げてきた。魚供養に、カニ供養、虫供養に、クジラ供養…。人形供養や針供養といった無生物に感謝する行事まである。今回の供養も、その延長上にある行為なのだろう。

日本人のいのちを尊ぶこころは、毎日のお仏飯のお供えと、食前の「いただきます」の生活習慣によって受け継がれてきた。私を生かしてくれている多くのいのちに対して、手を合わせて頭上に戴くのであり、そのすべてのいのちの象徴として仏さまがおられた。そのこころを取り戻すきっかけになればと、心底思う。

奇しくも、このニュースが報じられる前日に正福寺の報恩講があり、その中で聖歌隊の皆さんが仏教讃歌を歌ってくださった。「生きる」という曲だ。「生かされて生きてきた。生かされて生きている。生かされて生きていこうと、手を合わす 南無阿弥陀仏」――その詞が、私の胸にジンときた。

2016年11月号

しくじっても、傍に来て心底支えてくださる方がいる!

今の日本は、二極化が急激に進んでいる社会である。人の有り様についても、富める者と貧しき者との格差、然り。能力・地位・肩書といった目に見えるものさしでランク付けすること、然り。“善良な市民”と“社会を乱す悪者”に色分けされた人間観も、然りである。しかも、“善人”だったはずの人物が、一つの悪事が露見すれば、一気に“悪人”に転落してしまう世の中なのだ。

そうした人間を単純化して見る社会では、自己の内なる本心はなかなか表に出てこない。出ないどころか、見つめることなく、無意識に自分を“善人”の部類に入れてしまいかねない。これでは、人間の深みが見えず、うわべの薄っぺらな人間観しか生まれてこないだろう。

そもそも人間は、誰でも善と悪を併せ持ち、心はその間でつねに揺れ動き、翻弄されている――そんな存在なのではなかろうか。親鸞聖人の「さるべき業縁の催さば、いかなる振る舞いをもすべし(人は縁が重なれば、どんな恐ろしいこともしかねない)」というご述懐も、そのことを物語っている。

宮沢賢治の詩に「雨ニモマケズ」がある。私ははじめ、その“善人ぶった”内容に反発していた。「…欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている」―そんな人間はいないだろう。内心そう思っていた。「あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず」―有り得ないことだと。「東に病気の子どもがあれば 行って看病してやり 西に疲れた母があれば 行ってその稲の束を負い…」―延々と“善人”の所業が述べられている。そして最後に賢治は「そういう者に 私はなりたい」と締めくくる。私はこれを、単に人間の理想像を語っているにすぎないと思っていた。しかし、この詩に語られた人生を送った人物が、実際に賢治の近くにいたのだ。その人物は周りから虐げられ、のけ者にされながらも、ひたすら人間を愛し続けたのだった。賢治はそれを見ていた。そして、その人物のようにできていない“情けない”自分が見えてきたのだろう。そう思うと、最後の言葉に込められた賢治の切なる思いが伝わってきた。

改めて思う。たとえ善が全うできなくても、悪でしくじったとしても、この私を根底から支え、心から受け入れてくださるお方がいること、それだけで人はたくましく生きていける。私の、そのお方はアミダさまである。(住)

2016年10月号

お坊さんが語った「病」を超えていく道

《生も死も超えて届けられる限りない真心の温もり…》

病気への不安や関心が高まっている昨今、先月25日には、ナムのひろば文化会館で池田市仏教会の第3回公開セミナー「お坊さん“病”を語る」が開かれた。「病」を「悪」として忌避しようとする世間の見方とは異なる仏教的視点に、集まった聴講者の反響は大きく、主催者としても、社会への仏教発信に大いなる手応えと自信を感じさせてもらった。

内容は3宗派の僧侶4人が、「病」についてそれぞれの思いを語ったのだが、最初に登場した日蓮宗・本養寺副住職の難波見真さんは、『法華経』に出てくる喩え話「良医治子」を引用し、「医(者)」は仏さま、「子」は悩み多き我々のこと、「治(薬)」は仏の教えであると説明した後、病も、仏さまの教えという適切な薬をいただくことによって、病気そのものというよりも、その苦しみから解放されると述べられた。そこで何よりも大事なのは、仏さまへの「信」とされた。

次に、浄土真宗本願寺派・託明寺前住職の葛野勝規長老は、病が人生の大きな問題となるのは、死を意識するからだと分析された後、病も死も、それを避けることはできないが、転じ超えていくことはできる。その道が仏法であり、お念仏であると、自らの豊かな聞法経験から力強く話された。

曹洞宗・自性院住職の原弘昭さんは、僧侶も皆さんと同じように悩み、苦しんでいる。もちろん修行はしているけれども、例えば、病に苦しむ姿は皆さんと変わらない。しかし、迷いや苦悩に振り回されずに生きる方向性だけは見失うことなく、心はいつもそこに向けられている。修行という実践を伴った生き方をするのが僧侶のかたちだと思うと、語られた。

最後は、私の話だったが、初めは、高血圧で倒れた時の死を意識した恐怖感と不安感、それに、後に残るであろう家族を思って絶望感に襲われた体験や、二度の癌手術では、これも失敗する可能性を思うと、細かな一つ一つの(治療)行為に心が動揺したことなどを語り、それでも病気になって有り難かったこと。それは「さまざまなないのちと人の温もりを感じたから」という心境をお話させてもらった。

4人の仏教者に共通するのは、「私」を超えた普遍的な真実(まこと)を人生の芯に据えているということだろう。それは、生も死も超えて限りない真心の温もりとなって届けられる。仏の大慈悲心である。(住)

2016年9月号

リオ・オリンピックの選手たちの流した涙に感動!

涙が印象に残ったリオデジャネイロオリンピックだった。苦しみながらも銅メダルを獲得した女子卓球チームの福原愛さんは、勝利の瞬間、涙が溢れ出て止まらなかったし、金メダルを獲得した柔道の大野將平選手は、井上康生監督と合ってやっと涙を流し、その井上監督は選手たちの活躍に、インタビューの場でも涙で顔がくしゃくしゃになり、言葉にならなかった。レスリングの伊調馨さんは、最後の最後に大逆転して四連覇となる金メダルを掴んだが、その喜びの涙の中身には「お母さんが助けてくれた」と、二年前に亡くなったお母さんの存在があった。もう一人の女子レスリングの女王・吉田沙保里さんは、最後の最後になっても逆転の機会は生まれず、銀メダルに終わり、「皆に申しわけない」と泣き崩れてしまった。これほどの悔し涙はなかろうと思うほどの涙だった。

ほかにも、ブラジルの貧民街で暮らす女性が柔道で金メダルを獲ったり、同じブラジルの貧民街で亡命生活しているコンゴ出身のミセンガ選手も、メダルこそ獲れなかったが、歯を食いしばって戦った。六歳の時、紛争で目の前の母が殺され、今も消息不明の父や兄弟のことを思い続けながら試合に臨んだという。「どこかで自分の姿を見てくれていればいい…」-そんな思いが涙となって頬を流れた。

涙は、悲しいときにしか出ないのではない。辛いときにしか出ないのでもない。

うれしいときも、喜びが込み上げてくるときにも出るということを今回、改めて気づかせてもらった。

そう言えば、『今昔物語集』で、決まり文句のように使われる言葉がある。「涙を流して喜び貴びけり」、「涙を流して悲び貴びけり」という表現だ。いずれも、感極まって感動するさまを表しているのだが、そこには、大いなるもの、尊きものの存在や営みが、必ず背景にある。その大いなるはたらきによって〈真実、真相に触れ、また人が輝く〉ことを知らされ、感動するという意味合いだ。

今回のオリンピックで見せてもらった涙は、喜び、悲しみ、悔しさ、無念さなど、表の顔はさまざまだが、いずれも、その奥に、目には見えない大いなるいのちといのちのつながり、心と心のきずながあり、それが人を輝かせ、感動させるということを、私たちに教えてくれたように思う。

2016年8月号

相模原大量殺傷事件で考えさせられた「いのちの尊厳」

酷い事件が起こってしまった。7月26日未明、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で発生した大量殺傷事件のことである。容疑者は元職員の26歳の男で、一人で施設に侵入し、重度障害者だけをねらって次々と刃物で切りつけ、犠牲者19人、重軽傷者26人を出す大惨事となった。
何より恐ろしいのは、障害者は不幸を作る存在と決めつけ、そのいのちを抹殺することを正当化して犯行に及んだことだ。容疑者が衆議院議長に宛てた手紙が公表されたが、そこには凶行に及んだ理由の一端が伺われる。
元の職場で容疑者の目に映ったのは「保護者の疲れきった表情、職員の生気の欠けた瞳」だった。しかし、そこから思考が一気に飛躍し、「世界経済の活性化」や「第三次世界大戦を未然に防ぐため」などと、障害者の存在を、財政問題や国防問題と結びつけて捉える。その手前勝手な理屈、言葉を換えれば、愚痴と偏見と虚妄が見える一方、肝心の一人一人の「いのちの息遣い」が聞けていないことがわかる。
私は、この事件を初めて知った時に、ドストエフスキーの『罪と罰』を思い浮かべた。貧しさゆえに世の片隅に埋もれている有能で心優しい青年が、強欲で庶民を苦しめている金貸しの老婆を殺害する小説だ。「人びとを(高利の返済で)苦しめている一人の老婆を無き者にすることで、多くの人びとの生活が救われ、自分自身も(借金から解放されて)、能力を発揮する場ができ、世の中に善(幸せ)をもたらすことができる」と、老婆の殺害を正当化しようとするのだった。しかし、現実は、いのちを殺めた罪の意識と虚妄の生活に疲れ果て、自首することになるのだが、そこに「人間とか何か」「生きるとは何か」の基本命題とともに「いのちの尊厳」が描かれていると思うのだ。
現代社会は、白か黒かをはっきりさせ、単純に一方を取り、一方を捨てる傾向が強い。しかし今回の事件は、一人の特異な人物による特異な犯罪として切り捨ててはならない。障害のあるなしではなく、すべてのいのちは量りないいのちと心でつながっていることを、私たち皆が噛み締める、そんな機縁とすべきだろう。

2016年7月号

メダカのいのちと、テロで奪われた人びとのいのちと

梅雨の晴れ間のある日、植木屋さんが境内の樹々を消毒しに来られた。準備を始め、門と本堂の間にある金魚池や、メガタのいるひょうたん池には、いつも通りビニールシートを覆って、消毒剤が池に入らないようにしてくださったのだが、もう1か所、覆うべきところがあるのを、言い忘れてしまった。

この春新たに、南前栽の手水鉢にメダカ5匹をひょうたん池から移して飼っていたのだ。気がついて前栽に走った時には、ちょうど消毒剤を周りの樹に掛け終わったところだった。「急いで水を替えてください!」と叫んで、入れ替えてもらったのだが、次の日、改めて手水鉢から水草を除いて覗いてみると、白くふやけて浮かぶ2匹のメガタを発見、あとの3匹は見つからなかった。

ボウフラが沸いて、水も赤茶けていた手水鉢に、ひょうたん池で増えたメダカを少し移し、メダカの好む水草も入れて飼ってみると、見違えるように水が澄んできて、メダカも快さそうだった。それなのに、うっかりミスで一瞬のうちにいのちを奪う結果となってしまった。残念無念。何よりメダカが可哀想だった。

2匹だけでも埋めてやりたいと思い、手で掬い、スコップで掘った樹々の間の土中に置いた。小枝の一節ほどの小さな2つの遺体に土を被せ、その上にアマリリスの小鉢を置いて、手を合わせる。メダカのいのちが土に染み入り、やがてアマリリスの根を通って花を咲かせるかもしれない。おぼろげながらも、そんな期待が私の中にあったのだろう。だが、切なさで心が痛んだ。

目を世界に転じてみる。すると、英国のEU離脱ニュース。経済問題もさることながら、中東やアフリカからの難民・移民急増が一因であることは間違いない。その中にテロリストが潜入する危険性も増大する。そう思っていたら、またトルコで自爆テロ。背景に紛争と貧困があるとわかっていても、これは惨い。世界各地で自分たちの利益、主張、損得を優先する動きが顕著になっている。反比例して、他人のいのちの重みや苦しみを感じる心がマヒしていくのだろうか。今、人間は飽くなき欲望と偏見にブレーキがかからなくなっている。それが何とも恐ろしい。(住)

2016年6月号

オバマ大統領の広島訪問

核戦争の夜明けではなく、道義的な目覚めの始まりに

オバマ米大統領が広島の原爆慰霊碑前で述べた声明は、深い感銘を与えてくれた。戦後71年、原爆投下した国の現役大統領として初めて足を踏み入れた意味は大きいが、それよりも、声明に込められた一つ一つの言葉に、オバマ氏の真摯な思いが込められていて、他人事としてではなく、私自身の胸に諄々と染み込んでくるように感じられたのだ。

オバマ氏は言う。「彼ら(原爆犠牲者)の魂は私たちに語りかける。もっと心の中を見て、我々が何者なのか、どうあるべきなのかを深く考えて…」と。

人類は、科学を発達させ、生活を向上させてきた。しかし一方で、自分たちの損得のために、あるいは権力者の支配欲のために他国・他民族と争い、力で排除しようと戦ってきた。つまり、戦争が絶えた時代はなかったのだ。今も世界各地で戦争が繰り広げられている。「人を傷つけ、殺してやろう」と、生まれた時から思っている者はいないだろうに。誰だって仲良しになりたいだろうに。なのに、起こっているのだ。

先の大戦では、約6000万人の犠牲者を出す蛮行となった。人間の愚かさ、矛盾が露呈したと言えよう。そして、あのキノコ雲に至る。

オバマ氏は言う。「科学や諸能力の発達が、我々に不相応な破壊力を与えて」「人類が自らを滅ぼす手段を手にしたことを示した」―それが広島、長崎の原爆投下だった。そこには勝者・敗者はなく、謝罪も通じない世界だ。

「暴力的な競争ではなく、平和的な協力によって、我々の相互依存を深化させること」「広島と長崎は、核兵器の夜明けではなく、我々の道義的な目覚めの始まりとして知られなければならない」ともおっしゃった。

もう戦争を問題解決の手段とすべきでないこと。今でも欲や手前勝手のために競争し、殺し合っている状況だが、そこから、いかに核兵器を減らし、根絶させる道筋を見つけ出せるか―「それが我々の未来だ」とも。

演説を聴いていた被爆者の坪井直氏と森重昭氏の笑顔と感涙の表情が、奇しくも人の心の大切な部分を浮き彫りにしてくださった。それは、ともに悲しみ、ともに心の絆を深めることが、どんな苦しみを抱えていても、その心を和らげ、豊かにしてくれるということだ。そこに私は、仏さまのお心を見た。(住)

2016年5月号

いのちのネットワーク社会へ

熊本地震で見えてきた災害救援のあり方

4月中旬、震度7の激震に二度襲われ、その後も揺れが続く熊本地震、まずは被災者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

さて、一連の地震により、一時は18万人以上の住民が避難所に移り、現在(4/28)も3万人以上の方がたが不自由な生活を強いられているという。

たとえば、生活に欠かせない水や食品、トイレ用品などの救援物資が送られてきても、長蛇の列ができ、体力的に並べない人や、品切れでもらえない人も出たことだろう。しかも、物資が届けられるのは指定の避難所なので、別なところに避難しているともらえない。

今回の地震では、揺れが続くので自宅を避け、車中泊する人も多いと聞く。それでエコノミック症候群を患い、亡くなる方も出ているらしいのだが、車が避難所の駐車場ならば、救援物資を得られようが、別な場所で車中泊しておれば、受け取る機会がない。さらに被害に遭いながら自宅で過ごしている方も、相当数おられることだろう。それらの人に、はたして救援・支援物資や救いの手は届いているのだろうか。

要は、把握できているのは、指定された避難所や救援・支援物資の窓口である市役所など公の場の情報だけである。したがって、被災者全体の実態把握と、それを踏まえた具体的で正確な救援・支援活動は、限定的な受皿と小さな窓口のため、有効にはたらいていないのではないか。現に今、熊本市では、支援物資の受け入れを中断している。「(届けられている)救援物資を必要とされるところに届けることに全力を挙げる」ためだと、市のホームページでは説明しているのだ。

これが、もっと大きな規模の災害になれば、公的な窓口に頼る限り、停滞と混乱を招くことは目に見えている。

幸い、SNSというネットワーク通信が行き渡りつつある。ネットワークは直訳すると「網の目」である。誰でもが網の目のように関わり、縁ある人に情報を発信し、情報を得た人が必要な動きをする。まるで「縁起の法」そのものである。四角四面のシステムを脱却して、心も含めて、柔軟で迅速な網の目社会に向かうことが、災害時の救援・支援を有効なものにする道だと思う。いのちのネットワークが機能する社会の実現を期したい。

2016年4月号

ナムのひろばフェスタ盛会裏に終える

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〈子どもたちの喜ぶすがたに手応え感!〉

ナムのひろば文化会館の活動が始まって丸3年が経ったこの春、3月26日~28日の3日間にわたって、「ナムのひろばフェスタ」を開催することができました。各教室の先生方の協力を得て、受講者の日ごろの活動ぶりや成果を発表していただくとともに、縁ある方がたにも呼びかけて、フリーマーケットやフリーパフォーマンスに参加していただき、それぞれに個性を発揮し、交流していただくというものでした。地域の人びと、縁ある人びとが心を寄せ合って(ナムの心で)、活き活きと生きることを実感していただく…。そういう場にしていただけたらと思いました。

おかげさまで、スタッフや支援者の献身的なお世話とご努力により、無事、初めてにしては盛会裏に終えることができました。初日の人形劇団の公演では過半数が小さなお子さんが占め、大人も含めて55人ほどの参加でしたが、子どもたちの大喜びする表情を見ていると、心から、やってよかったと思いました。

また、27,28日の催しでは、出店数43店舗、出演数17ステージ、来訪者は2日間で計500人はおられたと思います。私たち素人が行ったフェスタにしては、上出来でしょう? 一歩一歩あゆんできたナムのひろば活動に、一つの節目をつけた形となり、手応えを感じています。

特に印象に残ったことは、チンドン隊を結成した若い女性グループが自分たちの出番以外に、お寺の周辺や駅近くまで出向いて、陽気に楽器を奏でながらフェスタの宣伝をしてくれたこと。子どもたちがきちんと靴を脱いで、手を合わせ、仏塔に上がって楽しく遊んでくれたこと。本堂での閉会式も、10人ほどのお子さんたちが大人と一緒に礼拝し、焼香もして、仏さまの前でお話を聴いてくれたこと。現代では、そんなご縁はなかなか作れるものではありません。うれしい限りでした。

関わってくださった皆さまに、仏さまに、心から御礼申し上げます。な~む!(住)

2016年3月号

子育てに、不安と孤立感を深める母親たち

《共同養育で、安心と信頼を確立する社会が求められる》

子どもへの虐待が問題となっている昨今だが、先日、児童福祉施設「るんびに学園」理事長の藤大慶師のお勧めで、NHKスペシャル「ママたちが非常事態」を観ることができた。子育てに戸惑い、孤立感を深めるお母さんたちの現状を紹介するとともに、最新科学により、明らかになった子育ての有るべき姿を浮き彫りにした番組だった。

番組は、多くのことを教えてくれた。まず一つは、お母さんが、「子育て失格!」と思ってしまいそうな幼児の夜泣きについて。夜泣きの原因が、母親のせいではなく、幼児がまだ胎内にいる時に、子が母の体を気遣って、母親が休んでいる(眠っている)夜に動くことにより、母親の体力消耗を少しでも減らそうと、子が親に気遣っていたためであり、誕生後も、その習性が残っているからだというのだ。「子どもの気持ちがわからない」と自分を責めたり、子どもを責めたりするのは、お門違いということなのだ。

また、もう一つ母親を困らせるものに、「イヤ、イヤ」と自分の思い通りにならないと、完全拒否する行為がある。しつけや社会のルール、また必要な習慣を身に付けさせようとする親にとっては、大いに悩んでしまうものだ。しかしこれも、まだ3歳ぐらいまでの人間の脳は、自らの欲求を自制するはたらきが未発達状態だからで、未成熟な脳に、無理に抑制させようとすると、また別な問題が起ってくるとも言える。あくまで、子どもの発達過程で生じる拒否反応だと知ることが大切なのだ。

人間の赤ちゃんはなぜ、このように未成熟なのかといえば、それは二足歩行したことにより、骨盤が小さくなり、脳が小さいうちでなければ生まれることができなかったからだという。だから、母親一人だけでは育てられないのも当然であり、人間は本来、皆で協力して育てる「共同養育」が行われていたというのだ。今、ママ友がさかんなのも、そう考えれば頷ける。

このほか、子育てには、母親だけが行うのではなく、父親がしっかりと母親(妻)に向き合い、心を共有することが重要だとのデータも示された。何より、家族を核とした人間関係の信頼が確立されることが大切なのだろう。信頼と安心感、それを失いかけた時、親子に限らず、人間の将来は暗いといわねばならない。(住)

2016年2月号

心の温もりを知って、新たに歩む道が見えてきた

〈大雪の車中で困っている人たちに住民が食事を提供して…〉

数十年ぶりの厳しい寒波が先日、西日本を襲い、九州や中・四国の各地に大きな被害をもたらしたが、そんな中で、心温まるニュースも報じられた。

大雪のため、佐賀県のJR有田駅で特急列車が動けなくなっていることを知った地元住民が、困っている乗客らを助けようと呼びかけたところ、多くの人が同調し、おにぎりや飲み物を届けて、乗客に喜ばれたという話だ。

夜、佐世保に引き返した乗客たちからは「おいしかった。ありがたかった」と感謝の声が上がったという。おいしかったのは、食べ物もさることながら、人の心の温もりだったことだろう。

愛媛県の八幡浜の国道でも、大雪と路面凍結でストップした車やトレーラーの運転手に、近くの喫茶店夫妻が温かいコーヒーやおにぎりを差し入れして、喜ばれたという。人は、窮状の時に、声をかけてもらうだけでも救われた思いになるもの、それが一番必要なものが与えられたのだから、その有り難みが身に染みるというものだろう。

もう一つ、最近の困った?傾向に、死に場所の問題がある。病院で約8割の方が亡くなり、自宅では1割というのが現状だが、本心はというと「自宅で死にたい」と願う人が8割に上るという。やっぱり、いつもの住み慣れたところで最期を迎えたいと思うのは当然だろう。その心情にどれだけ同感し、動けるかが今後問われてくるだろう。医療の問題だけではない。まさに我々宗教者が向き合わなければならない大事な問題だ。

先日、遅きに失する思いもあったが、3年ぶりに、長期入院されているお年寄りのご門徒を見舞いに行った。ご家族から「(私のことが)もうわからないと思います」といわれていたが、病室に入って、「住職ですよ」と呼びかけると、ビックリされると同時に、「よう(私のこと=ご門徒)、覚えてくれたはりました!どうしましょう」と、驚きと感激の表情で迎えてくださったのだ。そして「元気になって、もう一度お寺に参りますから…。お頼み申します!」と、私の手を額に押し当てられながら、はっきりと申されたのだ。声にならない感動の涙がお互いにこぼれ出ていた。

「まだ、お待ちの方が大勢おられる」―どこまでやれるかわからないが、私の新たな道が見えてきた思いがしている。

2016年1月号

今、日本は一つの価値観で動こうとしている!?

「人のいのちは国の有る無しにかかわらず尊くかけがえがない!」

新しい年が明けて希望を見出そうとしている時に恐縮だが、「火垂るの墓」という優しさ溢れる作品を生み出す一方、「四畳半襖の下張」事件でわいせつ罪に問われたり、政界のドン・田中角栄元首相に選挙戦を挑み落選するなど、破天荒な人生を歩んだ野坂昭如氏が、先日亡くなった。善きにつけ悪きにつけ、人間の覚束なさと、ピエロのような儚さ・悲しさを、私に教えてくれた面白き人物の一人だった。

もっとも、その「面白き魅力的な」個性は、自分を型に嵌め込んで、すまし顔で生きている“現代人”には、理解できない人間像かもしれない。そう思うと昭和は遠くなりつつと実感される。

たまに東京に出かけることがあるが、東京駅周辺にしろ、新宿や赤坂・六本木にしろ、似たような高層ビルに囲まれて、地面が見えない。どこも空間の同質性が漂い、個性がなくなっているのだ。人びとの心も見えない。ホテルでも、食堂でも、タクシー乗り場でも、皆きちんと列を作って並び、長い時間でも待っておられる。そこへ、声を上げたりすると白い目で見られてしまいそうだ。だから、気安く人に話しかけられない。いのちの温もりが感じられない環境なのだ。

今、日本社会は、一つの価値観で動こうとしている。「経済成長」は当然のことと信じ、「国の防衛」や「沖縄の基地」移転問題も、それらを報じる「メディア」も、一つの価値観に染まりつつある。グローバル化の中で、日本は国力を高めて国際競争に勝ち抜くことが人びとの生活には不可欠で、国民のいのちを守るためでもある、という論理だ。

しかし、それが、無意識にしろ「自主的国民統制」への動きであることに気づいているのだろうか? 国があって人のいのちがあるのではない。人のいのちは国の有る無しに関わらず尊くかけがえがないものだ。

お参りしたお宅で96歳のおばあちゃんが仏壇のある狭い部屋にベッドを置いて寝ておられた。お勤めの間、目を瞑り、済んでお声をかけると、細い両手を胸の前に合わされ「ありがとうございます!」と御礼を申された。その両手を私の両手で包まずにはおれなかった。そういういのちの触れ合いが涙を誘い、「いのち大切にね!」と願わずにはおれなくなるのだ。いのちとはそういうものであることが、今、忘れられているのではないか?(住)。

2015年12月号

円なる人生は、どこをとっても出発点であり、終着点!

現代を代表する尼僧・青山俊薫老師のご法話を聞いて

大阪府仏教会の50周年大会が先日、ホテル日航大阪で開催され、曹洞宗の青山俊薫老師(愛知専門尼僧堂堂長)が記念法話された。俊薫師は、満82歳の現代を代表する尼僧で、瀬戸内寂聴師ほどメディア登場はないが、今も著作、講演活動を精力的にこなされ、仏教の普及に努めておられる。終始柔和なお顔をされていたが、話はずばり物事の本質をおっしゃる厳しさを持ち合せたお方という印象だった。講題は「今ここをどう生きる―人生を円相で考える」。味わい深いお話だった。

仏教は円の教えだといわれる。それは、「円のどこをとっても、そこが出発点であり、終着点でもある」-俊薫老師はそんな捉え方で、人生を考えることの大切さを説かれた。

また、人間を四タイプに分けられ、人生を〈闇から闇〉、〈闇から光〉、〈光から闇〉、〈光から光〉へと歩む人がいることを述べられた後、「ほんのわずかな闇であっても、それをいつまでも引きずることで百倍にも闇が深まる下手な生き方もあります。逆に、闇としか思えないことを踏み台にして、光に変えていく生き方もあります」と、人生の闇を光へと変えていけるのが人間だと説かれ、「変えていく主人公は、ほかならぬこの私であり、今日ただいまの生き方にかかっている」と付け加えられた。

幽霊の話もおもしろかった。幽霊には三つの特徴があるという。一つは〈おどろ髪を後ろに長く引いている〉、二つは〈両手を前へ出し垂らしている〉、三つは〈足がない〉ことだ。

「おどろ髪を後ろに引く」というのは、済んでしまってことを、いつまでもくよくよと引きずること、すなわち心が後ろばかり向いている状態である。「両手が前」は、まだ来ていないのに、来たらどうしようと余計な心配ばかりして、不安を募らせる状態を指す。そのように過去と未来に心を飛び巡らせ、今この一瞬が見えず、足が地に着かない状態を「足がない」で表現しているというのだ。そこで、「幽霊は、私の浅はかな姿に他ならない」と気がつくわけである。

「今救われているか?」-お念仏を如来の大悲のお心と仰がれた親鸞聖人の教えと共通するところが多々あると思ったご法話だった。(住)

 

2015年11月号

私たちの心の杭が届くゆるぎない精神的地盤

〈強固な地盤に杭が届かなかったマンションのニュースに思う〉

10月中旬、横浜の大型マンションが、基礎工事の際、データを改ざんして杭打ちを行い、結果、強固な支持層に届かない杭がいくつもあったために傾斜したことがわかり、その後の対応も含めて、連日大きく報じられている。

建設・販売会社を信用し、大金をはたいて買った待望の我が家が欠陥住宅であり、いつ崩れるかもしれないとの不安を抱きながら暮らさなければならないとすれば、住人らの気持ちはたまったものではない。憤りは収まることがないだろう。

文字通り、生活の基盤となるのが我が家である。その住居を建て替えるにしろ、妥当な額を返金してもらって別な住居に移るにしろ、また、どんなかたちになるにしても、住人は多大な労力と気苦労を背負うことになる。

住人だけではない。建設・販売に携わった会社自体も、どれだけの損失を被ることになるだろうか。不信と実害以外の何ものも生じないように思われてくる。

それを、少し角度を変えて見れば、「信」の重要性が、こんなかたちで浮き彫りにされた、と言えるのかもしれない。「必ず安全なところで暮らせるように致しますよ。任せてください!」というマンション提供会社と、そこではたらく人たちを「信じた」からこそ、一生ものの買い物ができたのだろう。それが「裏切られた」となると、こんなにも生活が不安になり、人生そのものが台無しになりかねない事態となるのだった。いかに信が大切で、それに応えることが大切か、がわかるだろう。

今回のことで言えば、それがまさしく「固い地盤」への信だった。しっかりとした地盤に住まいの土台が根づいていたかどうかがキーポイントとなった。あたかも、私たちが、ゆるぎないしっかりとした精神的地盤に心の杭が届いている人生を歩んでいるか、それを問い直してくれたような出来事だったのではないだろうか。それを思うと、今回の出来事はマイナスばかりとも言えない。

そこでやっぱり、私には如来のけっして崩れない、また裏切ることのない大慈悲心の「信」が、有り難く思われてきたのだった。(住)

2015年10月号

死生観と“信”の大切さ再確認させてくれた癌

昨年から今年にかけて、芸能人の癌(がん)発症と死去のニュースがやたら多い印象である。高倉健、菅原文太、坂東三津五郎、今いくよ、今井雅之、そして川島なお美など、次々と頭に浮かんでくる。芸能界に限らない。私に近いところで言えば、ここ二ヵ月足らずの間に四件のお葬儀があったが、いずれの故人も、死因は癌だった。

2人に1人が癌になる時代といわれる中で、今年は3人に2人がなっているという話である。

それだけ身近な癌だが、私も一昨年の大腸に続いて、今度は腎臓にでき、9月3日、腹腔鏡手術で切除してもらった。約6時間を要した手術だったが、お陰さまで無事終了し、12日に退院。その後も順調に快復し、法務等も行っているのでどうかご安心あれ―。

それにつけても、主治医の先生や看護師さんらに大変お世話になり、またわが身を按じてくださった多くの皆様のお心が何よりの励みとなった。改めて御礼と感謝を申し上げたい。「有り難うございました」。

ところで、私が癌になったことで、自分自身の心境はやはり多少の変化が生じたと思っている。一つは、「死」の危険性をつねに孕みながら、私が生きているということだ。考えてみれば当たり前のように思われるが、しかしそれまでは、やはり「死」は他人事であった。人は、自分の身の上に「死」が迫っていることを知った時、はじめて「生きている」ことの有り難さが身に染みてくるものではないだろうか。私にとって癌は、自分が限りあるいのちを生きていることを知らしめてくれたように思う。

今一つは、「死」によっても消えることのない「いのちの絆」の確認だった。私の場合は、言葉でいえば「阿弥陀さまの大悲の心に包まれ、ご縁ある多くのいのちと私の心がけっして途切れることなく通い合う世界、お浄土に生まれていく」ということだが、単純にいえば、心の絆と温もりが溢れる世界が私にはあるんだ、ということだ。

いずれにしても、癌が私の死生観と「信」の大切さを再確認させてくれたことは間違いない。(住)

2015年9月号

仏祖の尊前で麗しき家庭を誓う2人を静かに見守りたい

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正福寺現住職の私・末本弘然(喜久次)の息子で、次の住職を継承する予定の一久(27歳)が、8月29日、池田の託明寺住職・葛野明規師のご司婚のもと、正福寺の仏祖の尊前で結婚式を挙げさせていただいた。お相手は、同じ職場(JTB)の同僚で、千葉県出身の羽田野彩さん。

ご両親の実家はともに大分県の浄土真宗のご門徒ということで、お寺とのご縁もなかったわけではない、と言えよう。当面は、東京で今の仕事を続け、近い将来(数年後?)、大阪に帰って、正福寺の法務・活動等に携わってくれることになっている。

それにしても、時は刻々と移り変わっていることを実感させられた。いつまでも子どもと思っていた息子が、社会人となって仕事に明け暮れる毎日を送り、その間に伴侶も見つけて、家庭を築こうとしている。私の知らないところで、どんどん成長している息子に、ついて行っていない自分がいたのだ。

「いつまで子ども扱いしているんや。構いすぎたらあかん!」――今回も、さまざまな場面で息子に叱られてしまった。

そんな中で、葛野ご住職が法話で、詩人・中川静村の詩「生きる」を新郎新婦にプレゼントしてくださった。

生かされて生きてきた

生かされて生きている

生かされて生きていこうと

手を合わす なもあみだぶつ

これからは、一歩退いたところから、息子たち二人を、静かに見守りたいと思う。(住)

2015年8月号

自己の正当性を主張すればするほど…

元戦闘指揮官と、情緒障害児治療施設長の言葉の共通点

殺らなければ殺られてしまう。それが戦争なんです!――『御堂さん』8月号の「戦後70年特集」で、中国中南部の最前線を転戦された陸軍中尉が、万感の思いで語ってくださったのがこの言葉である。「戦争は理屈ではない」、「この愚かな行為は二度と繰り返してはならない」とも語られる94歳の元戦闘指揮官の言葉は、途轍もなく重い。

つまり、机上で「何が善で、何が悪か」とか「どちらに正当性があるか」とかいった議論や思考など、木っ端微塵に吹っ飛んでしまい、勝者も敗者もなく、ただ人のいのちの奪い合いになるのが戦争というわけだ。第一、「同盟国(味方)」と「敵国」に色分けすること自体が対立的なとらえ方であり、そこに憎しみや不平等感が加わると、戦争への道を辿りはじめる。そういう意味で今、危険性が増していると言えるだろう。

対外的な面だけでなく、個人の内面についても、危うさが増しているように思う。日常生活において、お互いのいのちを尊び、敬い合うという心が行為となって反映されているだろうか? 損得、利権に目を奪われ、自己主張ばかりが飛び交う世の中は、鬱憤やストレスが溜り、溜まったものが爆発して、破壊的になる。そういう精神状態を生み出しやすい環境ではないだろうか。かく言う私も大いに反省しなければならないのだが…。

その点、7月のナムのひろば文化会館での特別講演は、溜飲が下がる思いがした。綾部市にある情緒障害児短期治療施設「るんびに園」園長で、臨床心理士でもある高橋正記氏が、心を乱した子どもたちを体全体で受け止め、立ち直らせてこられた経験から、人間関係について次のようなことを語ってくださった。

①上からモノ申しても聞いてはくれない。大人が描くようには子どもは動かない。力で従わせようとすればするほど、困らせる行為をとる。②夫婦、親子問題は、直接、当人同士が話し合っては余計にこじれる。中に入る人が必要。③ほどほどで折り合いをつけることが大切になる。

自分の胸に手を合わせ、「なるほど」と思うことしきりだった。

人は、自己の正当性を主張すればするほど、他者の「気持ち」を聞く耳を欠いてしまうものだ。それは国家間でも、個人間でも共通していると思った(住)。

2015年7月号

河瀨直美監督作品『あん』が伝える人間の値打ち

「私たちはこの世を見るために生まれてきた」

カンヌ国際映画祭で数々の受賞作を送り出している河瀨直美監督の最新作『あん』を観に行った。

久しぶりの映画だったが、樹木希林さん演じる主人公の「いのちへの共感」と「生きることの喜び」が、キラ星のごとく輝いて私の胸に届き、感動で震えるほどだった。

シーンは、桜咲く春、一人の老女が小さなどら焼き屋の店員募集の張り紙を見つけて、働きたい旨、店長に頼むことから始まる。

身なりや年齢から見て、店長は端から相手にせず断るが、翌日、老女が作った餡(あん)を食べた店長は、その絶妙な味に感心し、雇うことにする。無味乾燥の毎日を送っていた店長の男も、老女のあん作りを手伝いながら、その姿勢に刺激されて、どら焼き作りに精を出すようになる。明らかに味がよくなったどら焼きに客も気づいて、行列ができるまでに繁昌する。

しかし、やがて、老女の手が不自然に曲がっていることに不信を抱いた者が「らい(ハンセン病)」ではないかと噂し、それが広まって客足がパタリと止まってしまう。

老女は、その状況を見て、自ら店を去り、療養所生活に戻る。老女への思いを募らせる店長と常連客だった少女が療養所に彼女を訪ね、しばし心を触れ合うが、その後ほどなくして、老女は亡くなり、療養所内の墓地に葬られるのだった。

誤解、偏見によるハンセン病患者や元患者への不条理な差別が社会に根強く残っていることを映画は知らしめてくれるが、にもかかわらず、主人公の老女が見せる穏やかな表情と豊かな心はどこからくるのだろうか―。その答えが真のテーマなのだろう。

老女は、風に揺れる満開の桜の花に手を振り、語りかけ、煮ている小豆に「がんばりなさいよ」とやさしく声をかける。そんないのちの共感が心和ませてくれる。

また、人生を振り返って語る言葉、「私たちはこの世を見るために、聞くために生まれてきたんです」は、凄みがあるほど重い言葉だ。人間存在の値打ちの原点が、名利や貢献や能力とは別次元にあることを教えられる思いがした。(住)

2015年5月号

境内のショウブ開花に母の面影浮かぶ

《 2015.6月号 》

本堂前の境内に、昔、火鉢として使っていた3つの大きな鉢があり、ショウブの株が植えられている。新緑の季節になって、細長い葉っぱが何本も勢いよく伸び、やがて鉢はショウブの葉で所狭しと埋め尽くされるようになった。毎朝、境内を散歩していて、それらの中に、先端が膨らみはじめた葉(茎)がいくつか現われているのがわかっていた。

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5月30日の朝、そのうちの一本が鮮やかに開花した。眺めていると、いのちの息吹を感じるからだろうか、うれしくて、心が和む。ほとんど形らしきものがなかった寒い冬の時期から、緑が芽吹いてどんどん大きくなり、紫色の見事な花を咲かせた。開花という華やかな結果を生み出すまでの、実に地道な営みに感心させられる。と同時に、いのちの素晴らしさは、そういう目に見えない、また目立たない営みがあったればこそだ、とも感じる。それに気づいたときに、いのちの尊厳や、敬意が生じるものなのだろう。

そういえば、この花ショウブを火鉢に植え、育てていたのは、亡き母だった。今は母のすがたはないが、ショウブの花が咲いたとき、母の面影が私の脳裏に浮かんだ。鉢を移動させたり、水を遣ったりして、ショウブの世話をする在りし日の母である。日常の当たり前の風景としてあった母の営みは、今はもうない。しかし、ショウブの花が、母の存在を再び、私に呼び戻してくれたような気がする。

母が遺した一句

花菖蒲 紫紺去年(こぞ)より あでやかに (平成11年)

今日5月31日は、亡き人を偲ぶ永代経法要である。(住)

2015年5月号

戦争に勝者敗者なく、いのちすべて尊し

 第2次世界大戦の終結から、今年で丸70年が経つ。その4月、天皇陛下は切望されていたパラオ訪問を実現され、壮絶な戦いが繰り広げられたペリリュー島で、日本人1万人を含む、西太平洋地域の戦争犠牲者が祀られている慰霊碑の前で拝礼され、献花されただけでなく、米軍慰霊碑や、米兵の死体で浜辺が埋め尽くされたオレンジビーチでも、深々と頭を下げられたことに、深い感銘をおぼえた。
  なぜなら、戦争で亡くなられた人びとを敵味方の区別なく、皆、等しく尊い存在として見ておられることが、伝わってきたからだ。先の戦争では、日本は天皇陛下の名の元に戦い、命を捧げていった。そのことに一番心を痛めておられるお方が、天皇陛下あろう。
  ペリリュー島での陛下の米軍犠牲者へ拝礼は、どんなことがあっても戦争を起こさせてはならない、なんとしても平和を貫くようにとの願いが溢れ出たご行為だった。戦争に勝者敗者はなく、ただ命を抹殺し合う悲惨さだけが残ることを忘れてはならないだろう。
  改めて、6年間(日中戦争から言えば8年間)の戦争犠牲者を調べたところ、世界で6000万人以上、アジアだけでも約3000万人に上ったとされている。このうち、もっとも犠牲者が多かったのはソ連(現ロシア)で約2000万人、次に中国が1000万人~2000万人(ともに推定)だ。この2国ですべての犠牲者の半数を占めていることに正直、驚いた。というより、私の認識から抜け落ちていたといっていい。
  日本人の犠牲者が約300万人。それよりはるかに多くの中国人、ロシア人が犠牲になっていたという事実。それを考えると、両国の指導者が今なおしたたかで、強硬姿勢をとる理由がわからないでもない。ともに戦勝国とはいえ、日独に侵攻され、甚大な犠牲を被ったわけなのだから…。
 今、日本では、中国や韓国に対する不快感が増しているように思う。なぜだか、メディアを含めて各界がそういう感情を煽っているようにも見える。主張するところは主張するにしても、感情に流されず、何が大切かしっかりと押えておかなければならないと思う。
そんな折の天皇陛下のパラオでのご行為は、意義深いものだった。

2015年4月号

お知らせ

*4月の勤行は「仏説観無量寿経」です

*同朋の会の総会が4月26日午後1時半から開催されます。会員の方は同封ハガキで出欠のお返事を!またその際、会費(門徒5,000円、有志2,000円)をお納めください。

*ナムのひろば一体に、今年はじめて土筆が生えました。小さないのち、愛おしく感じられます。来寺の際、ご覧ください。

2015年4月号

大勢の人が集まっても、心の虚しさは解消しない…!?

《 人で溢れる道頓堀を歩いて思ったこと 》

ナムのひろば文化会館の活動が始まって、早いもので3年目になる。「地域の人たちに心の潤いを!」と、張り切ってスタートさせたものの、至らぬことばかりで、思うように成果が上がらない。人がなかなか集まらないのだ。思いが伝わらないようだし、伝えようとすると、引かれてしまい、余計に伝えづらくなる。そんな繰り返しで今日までやってきた。人の心を惹きつける要素が足りないのはわかっているのだが、わかっちゃいるけど、できない。第一に、ていねいに向き合えない自分がいるのだ。

そんな浮かぬ状態で、先日、久しぶりに道頓堀界隈に出かける機会を得た。地下鉄なんば駅から戎橋筋に上がると人、人、人で、前へ進めないほど溢れかえっていた。道頓堀に入っても混雑ぶりは変わらない。以前は、賑やかながらも、多くが観劇や買い物、食事に来ている関西人で、親しみと安心感があったが、今は状況が一変。交わす言葉が中国語に韓国語、英語…と「ここはどこ?」といった状態。人数も半端じゃなく多い。さまざまな国や各地からやって来た観光客らが、いくつも点在するたこ焼き屋の前に長蛇の列を作り、シャレた土産物店では大阪名物を買い求め、ごった返していた。

「何でこんなに人が集まるの?」-ふと、そう思った。素朴な疑問だった。しかし、次の瞬間「別に深い意味があるわけでもないか…」と思った。情報に誘導されて「何となく行ってみたい」「楽しいことがあるかもしれない?」と感じて行動しているに過ぎないのではないか。結果、人が集中していても、それで心が満ち足りているわけではないのだ。単に疲労感と虚しさに襲われる人だっているだろう。

一方で、独り暮らしのお年寄りに声をかけると、喜んでしゃべり出す人がいるかと思えば、無愛想ですぐに扉を閉める人もいる。要は大勢の中にいても、独りでいても、人は皆、何がしかの寂しさ、虚しさを感じているのだ。

そう思うと、「集める」よりも大事なことが見えてきた。と同時に、親鸞聖人の「生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける」(高僧和讃)が頭に浮かび、自信喪失ぎみだった私の心は安らいだ。(住)

2015年3月号

醜さ・汚さの中にこそ本当の値打ちが隠されている!

《 歌舞伎役者・坂東三津五郎の死に思う 》

このところ、身近な人や有名人らの訃報が相次いでいて、人のいのちの限りあることをより一層、痛感させられている。2月21日に亡くなられた歌舞伎役者の坂東三津五郎さんも、その思いを募らせてくださったお一人だ。
たまたま、2月27日のテレビ(BSプレミアム「美の壺」)で三津五郎さんの生前、最後のお姿を見ることができた。収録は2月8日となっていたので、亡くなられる十日余り前のことである。
すでに亡くなられたことを知っていたので、番組の内容よりは、もっぱら三津五郎さんのお姿やお顔の表情を見ることに終始してしまった。
見るからにしんどそうだった。「死相が顔に出る」というが、まさにそんなお顔だった。私よりは5歳も若い年齢にもかかわらず、眼は落ち込み、肌は染みが異様に目立ち、白髪混じりの頭髪は乱れ気味で、
口を開けてしゃべるのもつらそうな状態だった。
しかし、ご本人はそういう素振りを見せまいと懸命に装っておられるようだった。その振舞いに、なぜだか心臓がドキドキした。限りあるいのちを「必死に生きよう」とするお姿に、
人間の尊厳を感じたからかもしれない。「大したお方だ」と感服すると同時に、諸行無常の理の厳粛さに、戸惑いと不安を感じたからかもしれなかった。
元より「老病死」の苦は誰も逃れることができない。老いは心身共に萎れて醜くなる。病は、悔恨と苦痛をともなう。また死は、恐ろしくて、思うだけでも辛い…。
それでも、誰もが通らなければならない道なのだ。
だが昨今の状況は、人間の都合で他の生命を取捨したり、好きか嫌いかで人生が選択できると思っている節がある。汚いものは捨て、好きなものはいつまでも手元に置いておきたいと願うのは勝手かもしれないが、
人のいのちは好き嫌いや、綺麗か汚いかで取捨選択するものではないだろう。きれいごとしか見ない人生は薄っぺらなものになる。
自分にとって都合の悪いこと、醜さ・汚さの中にこそ本当の値打ちが隠されているものだ。そのことに気づいた時、人生に深みと感謝の念が自ずと生まれてくるのだと思う。(住)

2015年3月号

お知らせ

*3月の勤行は『正信偈(草譜)』です
*春季彼岸会が3月21日午後1時半から営まれます。その頃になると少しは暖かくなり、桜の蕾も膨らんでいることでしょう。待ち遠しいですね。皆さま、どうぞお参りください!
*同朋の会役員会 日時 3月21日(土)午前11時~。
◆同朋の会ならびに婦人会の役員はご出席ください。
*豊島南組同朋研修会 日時3月30日(月)午後2時~4時
◆テーマ=「先師に聞く戦後70年・いのちの話」
◇講師=岩田隆一師(信行寺)・葛野勝規師(託明寺)
◆会所=豊中市立花町の信行寺(岡町駅から徒歩10分)

2015年2月号

“心の絆”が実感できる社会が来ないものだろうか!?

《 高齢者の5人に1人が認知症になる時代 》

厚生労働省によれば、10年後の2025年には、65歳以上の5人に1人の700万人が認知症になるという。私もその中に入る可能性があるわけだが、今でも500万人近くの7人に1人が認知症になっているらしく、
けっして他所ごとではないのだ。
政府では、予防策やら、若年の認知症患者支援などの対策に取り組むようだが、どれだけ実行に移せるかは、社会全体の、また国民1人1人の姿勢にかかっているといえそうだ。
これまでの社会は、無駄をなくし、いかに効率よくものごとを進めるが、が重要視されてきた。高品質と迅速なサービスが喜ばれ、そのために努力していく社会であった。
また、グローバル化の中で世界の競争相手に勝ち抜くために、経済発展は不可欠とされてきた。
その流れの発想で言えば、リニアモーターカーであり、東京オリンピックであり、大量のマネー流入がはかれるカジノ誘致案などである。
そうした成果を上げるためには、きちんとルールを守らなければならない。「信号は赤で止まり、青で進む。一方通行の道を逆に走ってはいけません。
それらをきちんと守らなければ、社会は乱れ、迷惑がかかります」―そう教えられてきた。
しかし、この頃、一方通行どころか、高速道路を逆走する車が増えてきた。信号を守らない人たちも多くなった。認知症の人すべてがそうするわけではないが、
規則や法律が機能しなくなる可能性は大きくなってくることだろう。ということは、ルールを守る“善良な”市民ばかりで構成されるべき社会が崩壊していくことになるのではないか。
すなわち、規則や数値で価値をはかり、成果を求める社会からいかに脱却するかが、今問われていると思うのだ。
最晩年、介護5で、息子の私さえ認識できなかった母ではあったが、手を握るとその手の温もりが伝わり、何ともいえない安らぎと尊さを与えてくれた母だった。
認知症であろうが、重い障害があろうが、今あるいのちの尊さが伝わってくる生き方ができる社会、心の絆が実感できる社会、そういう社会は来ないのだろうか!? (住)

2015年1月号

移りゆく人生の向こうにある崩れない世界…

《 高倉健さん、菅原文太さんが遺した人生訓 》

前号で、私は「諸行無常の真っただ中にいる」と現在の心境を述べましたが、言い残したことがありました。それは、11月に亡くなられた二人の大物俳優の人生訓についてです。
言うまでもなく、一人は高倉健さん、もう一人は菅原文太さんです。ともに、やくざ映画全盛期のスターであり、八十歳を超える長き人生を歩まれた方です。そのお二人の「人生を語る」言葉は、鮮やかなまでに私の胸にスーッと入ってきました。
「何が悪で、人間どうあるべきか」を、スクリーン上だけでなく、現実社会とそこに暮らす人びと、さらには自分自身をも見据えた上での言葉であり、ぶれない人生観に裏打ちされた言葉だったからでしょう。説得力があるのです。
高倉健さんは、少年期に迎えた終戦の日を振り返り「その後何度となく味わった人生が変わる一瞬。諸行無常。この時が初めての経験だったような気がする」とおっしゃいました。
「諸行無常」という仏教語を使って、この世には何一つ確かなものはなく、人の心さえも変わっていくことを、身をもって味われたのでした。そうした浮き世で生きるいのちが、しかし、かけがえのないことも感じ取っておられました。だからこそ「今を精いっぱい生きる」という信念で生きられたのでしょう。座右の銘が「讃仏偈(『仏説無量寿経』)」の最終行「我行精進 忍終不悔」を引用した「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」だったそうです。健さんの生きる姿勢が見えてきます。
菅原文太さんも、晩年、農作業に勤しみながら、実に明快に自分の信じるところを披歴されていました。「大事なことは国民を飢えさせないこと、そしてもっと大事なことは、戦争をしないこと」という切なる訴えの言葉が印象に残っています。原発反対もそうですが、文太さんの言葉の間からは、いのちの根源的な尊さ、かけがえのなさがにじみ出てくる思いがしました。
心迷い、人生の往くあてもわからず生きている人が多い世の中です。お二人の生きざまを通して、移りゆく人生の向こうにある崩れない確かな世界を見る目の大切さを思いました。(住)

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