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2014年の『正福寺だより』です
年末となり、気忙しい毎日が続いていますが、この一年を振り返ると、実にさまざまな出来事や変化があり、年々その度合が増しているように思います。 個人的には、大腸癌手術の明くる年でしたが、体調、特に排便の有無に一喜一憂しつつ、わが身と心のいたるところでジワジワと老化が迫り来ていることを感じるようになりました。 にもかかわらず、やるべきことは増えこそすれ、減る気配はありません。これまでのお寺の活動・行事に加えて、「ナムのひろば文化会館」充実のためのさまざまな取り組みと行動があります。
また、仏教会会長としての仕事も新たに加わりました。私がもっとも打ち込みたい「物書き」の仕事は、いつも一番あとになり、なかなか前進しません。 いわば処理しきれない荷物を抱え込んで消化不良を起こし、皆さまにご迷惑をおかけしているのです。そういうわが身の至りなさを「老病」の自覚とともに感じている次第です。 また、お寺に関わってくださるご門徒さんらも、住職就任から30年経った今は、様変わりしました。
30年前は私もご門徒さんも若くて溌溂としていました。そのご門徒さんらが一人欠け、二人欠け、残っている人たちも皆、歳を取り、お寺へは来れなくなりました。私の母も8月にお浄土に参りました。
「変化」はそういう寂しさばかりではありません。嬉しいこともありました。息子の一久(若院)が、東京での仕事が認められ会社から表彰されたことや、その息子のお友だち二人が、 正福寺で仏前結婚式を挙げてくれたこと、そして夫婦そろって報恩講にお参りし、これからもお寺に関わりたいと言ってくれたこと、さらに七五三をお寺の本堂で祝われたご門徒がおられたこと等々です。
先日の報恩講で歌ってくださったやなせななさんの曲「シチュー」の歌詞に、しあわせやかなしみは、お鍋の中で煮込めばとけて一つになる、といった内容の文言が語られていました。 お鍋は阿弥陀さまなのでしょう。お鍋に丸ごと入った私は、喜びも悲しみも溶け合って、ナムアミダブツという一つの味になる。諸行無常の真っただ中にいる私の今の心境でもあります。(住)
社会体制から政治、経済、教育、文化、そして風習に至るまで、形の上では、日本人の生活はどっぷりと欧米式に染まっているようです。 私が若かった頃には聞いたこともなかったハロウィーンというヨーロッパの祭りが、若者を中心に日本で急速に広がり、今やクリスマスに次ぐ経済効果をもたらす一大イベントになっていると、 最近の新聞で報じられていました。
元々は、古代ケルト人の収穫を祝う祭りだそうで、お化けカボチャを飾り、恐ろしい仮面を着けて悪魔を払ったとされます。 現代の若者たちはお化けカボチャや怪奇な仮面といった形に注目、祭りの目的は度外視して、個々に仮装して楽しんでいるようです。新聞にも、血のりを付けて変装した女の子らの写真が載っていました。
実は、私も二カ月ほど前、たまたまドイツのフランクフルトに寄った際に、中央駅の構内から駅前広場にかけて、仮装した異様な格好の若者たちが大勢たむろしている光景に出合っていました。 わけがわからない私は「一体、何が起こったのか」と、思わず身構えてしまいました。あれもハロウィーンの真似事だったのかもしれません。
それにしても私には、こうした若者の仮装現象には、虚しさこそ感じるものの、共感する気持ちにはなれません。何か、うわべだけのポーズに思えてならないのです。 内面からほとばしるものがなく、ただマネをして、自分を誤魔化しているだけのような気がするのです。そこに若者の現状に対する漠然とした不安と不満を感じるのです。 わが人生の「確かなもの」を求める精神的行為が乏しくなっていると言えるかもしれません。しかし、本当は皆、「確かなもの」を求めているのです。
親鸞聖人の時代、生きることの意味や、死んでいくわがいのちの存在意義を見つけたくて、人々は必死でした。それだけ現実の人生ははかなく、いのちは軽かったのです。 そこへ「ナムアミダブツ」という確かなものが与えられ、わがいのちを尊び、生き抜く力を得たのです。その御恩は想像以上に大きかったに違いありません。
「報恩講」が続いてきた意味と、その意義深さを味わいたいと思います。 (住)
先月28日、池田市仏教会の主催による公開講演会「仏教が伝えたいお葬式」がナムの会館で行われました。お葬式が簡略化され、その意義さえも忘れ去られそうな状況にある昨今、 「お葬式の大切さを今一度、認識しましょう!」というのがネライでした。
日本の仏教には多くの宗派があり、皆、別なことを言っているような印象を持っておられる方もいますが、どの宗派も仏教である以上、基本精神は同じです。 ただ、かたちが異なるだけに、混乱してしまうのでしょう。
そこで、「お葬式」をキーワードに、異なる宗派のお坊さん方に、仏教を語っていただき、共通する部分を聞きとっていただければ、大事なところが浮かび上がってくるのではないか、と考えました。 そして、その共通部分が仏教の基本精神でもあるわけです。それを踏まえた上で、自分たちに合ったお葬式を堂々と営んでもらいたいと思った次第です。
講演会では、禅宗系から曹洞宗、浄土系から浄土真宗、密教系から真言宗の各円熟されたお坊さんに語っていただきました。なにぶん初めての試みだけに、参加者の皆さんに理解していただけるか、 多少の不安はありましたが、私の感触では、大半の方が意義を感じ取ってくださったのではないか、と思いました。
お坊さんのお話しは、三者三様でしたが、見事に共通しているところがありました。それは、「亡き人(要はこの私もですが…)が仏さま(覚りの世界)と一つになる」ための儀礼が「お葬式」だということです。 仏さまとは、言うまでもなく真実、普遍、永遠という性質を持ったお方です。その仏さまと私が一つになっていく教えが仏教なのですね。「仏に成る教え」だから仏教です。
お話の中で、「一瞬一瞬の積み重ねが永遠(につながる)」(曹洞宗)、「仏さまに帰る(儀式)」「生まれ変わること」(ともに真言宗)といった言葉が印象に残りました。 「死」は、新たな「生」の始まりだとも言えそうです。仏教のお葬式には、希望や永遠性といったいのちの大事な部分が噛みしめられる要素が含まれているのだと改めて思った次第です。(住)
母が8月5日の朝、99歳を一期として、ついにお浄土へと帰っていきました。
4年前の3月、くも膜下出血で倒れて以来、三度の危篤を乗り越えて生き続けた母は、私に老苦・病苦の人間のありさまを、たっぷりと教え諭してくれました。 最後は認知症が進んで、言葉も発せず、息子を判別することさえできませんでした。生きることがどんなにか辛く、やるせなかったことでしょう―。
母の結婚前は、誰もが羨む人生を送っていました。学業は優秀で女学校から師範学校に進み、教師をしていました。幼少期は、優しかった実父のおかけで歌に舞りに、好きなおけいこ事を存分に習わせてもらい、 童謡歌手としても、創生期のNHKラジオにしばしば出演していたようです。 華やいだ独身時代から一変したのが、結婚してお寺に嫁いできてからでした。 同じく教師をしていた父にではなく、住職をしていた祖父に仕えるような形でお寺を切盛りし、夫婦の対話もままならぬ間に戦争、そして終戦後の混乱と続きます。 ようやく落ち着いた昭和四十年代の初め、祖父母を見送り、長姉を嫁がせ、これからという時に、父までがこの世を去ってしまったのです。
その時の心情を、母は亡き父宛の手紙に書き記しています。「ただ一人取り残されて大変なことになりました。…直ぐに貴方のもとへ行きたいのですが、しばらく待っていて下さい。 私は二人の息子の将来を生き甲斐に、…貴方の残された責任ある仕事をどうしても果たさなければなりません。どうか私に力をお与え下さい…」 父のやり残したお寺作りをめざして、 孤独感を払しょくしながら懸命にお寺を護り発展させ、見事、息子にバトンタッチさせたのが母の後半生だったのです。今ごろ、お浄土に生まれ、ホッとした表情で父に報告していることでしょう。 それにしても、火葬の後、拾った母の遺骨があまりにも小さく、粉々なのに驚きました。「こんなにも苦労させたんだ」との感慨がよぎり、有り難くて申しわけない思いがしました。 通夜の席で「親はいなくなってからが有り難い」とのご法話をいただきましたが、それをさっそく実感させられました。(住)
富士山が世界文化遺産に登録された今年は、例年以上に富士山頂を訪れる人が多いようです。山頂に登ると何とも言えない達成感が味わえます。自分の可能性を確かめるため、 また何かのけじめや、励みにしようと登る人もいるでしょう。単純に「山があるから登るんだ」という人もいるかもしれません。そうして登頂に成功した達成感は、高い山であればあるほど、 困難な山であるほど、その度合いは増すというものです。
自己の達成感は「山を征服した」という表現でも表わされます。日本一高い富士山に通勤ラッシュ並みの人が押し寄せるのも、その感激を体感したいため、というのがあると思います。
いずれにしても、主体は「私」です。「私が登り、私が達成する」のです。それが現代人の感覚です。
しかし、昔は、主な山は「仰ぐ」ものだったのです。三大霊山といわれる富士山、立山、白山がそうですし、先に世界遺産になった熊野三山や大峰山などの紀伊山地の山々、各地方の山々でも山頂付近は、 人間が足を踏み入れてはならない聖なる空間でした。数限りない動植物がそれぞれの役割を分担しながら、調和させて息づく大自然そのものでもありました。 言葉を変えれば、神々の住むところだったわけです。人びとは畏敬の念を持って仰いでいたというべきでしょう。
1000年以上前に生まれた伝説ですが、神と崇めていたその富士山を「甲斐の黒駒(山梨県産の名馬)」に乗って駆け上った人物がいました。聖徳太子さんです。 太子は仏教を尊び、仏教で国を治めようとされた方です。神である富士山の頂上を飛翔したというのは、聖徳の「仏」が富士の「神」を治めたということでしょう。 それは「東国の神々を太子が仏教によって治められた」象徴でもあったのです。 山は、その後、山岳信仰者が入って修行する場となりましたが、明治までは、やはり聖なる空間でした。 今は山積みになったゴミに象徴されるように、俗が限りなく浸入しています。山や自然の持つ神聖さに気づいてほしいと願わずにはおれません。(住)
サッカーのワールドカップが6月12日からブラジルで行われていますが、開催前からメディア等で、日本チームの動向が大きく取り上げられ、かつ、今回の日本チームはレベルが高く、 大いに期待できるような報道ぶりが目立ちました。
しかし結果は、一勝もできず予選敗退。欧米、中南米のチームとの力の差は歴然としていました。すると、「あの盛り上がりは何だったのか?」「メディアの過熱ぶりは何だったのか!?」 と素朴な疑問が湧いてきたのです。
「負けると熱が冷める」ということはこの際、置いておいて、気になるのは、メディアの取り上げ方です。いかにも日本に都合よく報道し、 日本中が応援するべき事柄であるかのように煽っている感があるように思えたのでした。
最近の国際情勢の中で中国、韓国を嫌悪する傾向や、国内の政治動向を見ても、集団的自衛権を容認する方向で動く中、「日本人の誇り」とか「愛国心」とかが語られ、 国威発揚に向けて政官財の各界が一体となって突き進んでいる感があります。
そこにマスメディアも加わって煽れば、国民の気持ちもその方向に向かっていくことが過去の歴史だけでなく、現代も起こりうることが、明らかになりつつあると言えるようです。
先日届いた学術雑誌『日本歴史』の7月号に「民意による検閲」という論文が載っていました。昭和12年の上半期に大ヒットした流行歌『あゝそれなのに』が、「一般市民」による多くの批判的投書により、 出版元が発売中止に追い込まれ、その後、官憲による検閲が厳しくなったことが述べられていました。「上からの統制」ではなく「民意による自主規制」が、やがて官民一体となって戦争に突き進んだ苦い経験を、 思い知らされた論文でした。
その意味でメディアの力は大きいと言わねばなりません。人の生活目線よりも、国家の目線を重視するメディアの姿勢は、極めて危険な状態と言えるでしょう。 と同時に、一人一人が人生の価値観をしっかりと持つことの大切さも痛感させられました。(住)
騒音でしかなかったヒナ鳥たちの鳴き声が、ある日、突然ピタッと止み、気がつけば、お寺の事務室に静けさが戻っていました。5月30日のことです。 約一ヵ月間、離れの二階の軒の穴にムクドリが巣を作り、子育てしていたのです。
騒音でしかなかったヒナ鳥たちの鳴き声が、ある日、突然ピタッと止み、気がつけば、お寺の事務室に静けさが戻っていました。5月30日のことです。 約一ヵ月間、離れの二階の軒の穴にムクドリが巣を作り、子育てしていたのです。
もう一つ困ったことには、大量の糞や食べ残しが落下してくることでした。ちょうど、巣の下が通路になっており、そこに毛虫の残骸や木の実、昆虫、ペットフードなどが散乱しているのでした。
時には、大きなカナブンがひっくり返って足をバタバタさせていることもありました。25日の「永代経法要」では、法要前に、役員さんが水をかけて掃除し、 参拝者が不快な思いをしないようにしてくださったのですが、法要後にはもう、掃除したのがウソのように、毛虫やら何やらの黒い塊りがあちこちに散らばり、元通りの汚さを取り戻していたのでした。 それだけ、ヒナたちの食欲が旺盛だったということでしょう。はた迷惑というか、厄介で、あきれ果てたムクドリだったわけです。
しかし、こうしていなくなると、なんとなく寂しい気持ちになるのはどうしたことでしょうか? 「ヒナたちは無事に巣立ったのだろうか?」 「カラスや猫に襲われたのではないか?」とか、 余計な心配をしてしまうのです。「一人前になるまで、元気に育ってくれよ」と願っている自分がいるのでした。 そう思わせたのは、ヒナ鳥もさることながら、親鳥たちだったかもしれません。 餌を見つけて口に銜え、巣に運んではヒナたちに与えます。それを日に何回繰り返したことでしょうか?
人影を見つけると、「ギーギー」と警戒の声を上げ、休む暇もなかったことでしょう。その直向きな姿が、いなくなった今、私の胸を打ったのだと思います。 人は「いなくなって、はじめてその有り難さに気づく」ことが往々にしてあるのです。(住)
昨年秋の手術後、機会あるごとに京都のお寺を訪ねるようになりました。なんとなく心が深まる思いがしてくるからです。法然聖人が住まわれ、親鸞聖人も山を下りて向かわれた東山の吉水草庵跡あたりや、 嵐山・嵯峨といった観光スポットもちょっと踏み込めば、魅力満載といったところです。
先日も、嵯峨野の落柿舎(向井去来の草庵)あたりをうろついていたのですが、何気なく脇道に入ってみると、その先に竹垣に覆われた「西行井戸」なる遺跡を見つけました。 平安末期の歌人・西行法師がこのあたりに草庵を結んで、生活のためにときどき水を汲みに来たといわれる井戸です。表通りは観光客が途切れず行き来するのですが、ここは誰一人入ってきません。 ふと迷い込んだような異次元空間で、私は、井戸を汲む西行さんに出会ったような気がしました。
経済的にも社会的にも恵まれた エリート武士の佐藤義清(西行) が突然、出家したのは23歳の時。出家直前に詠んだ歌が「空になる心は春の霞にて世にあらじとも思い立つかな」―。 体が地(俗世界)から離れて、霞のように宙に浮く心境が伝わってきます。
しかし、出家後しばらくは洛外にとどまります。「世の中を捨てて捨てえぬ心地して 都離れぬ我が身なりけり」―。すっきりと晴れることのないわだかまりいっぱいの西行がいます。 井戸の水を汲む西行はどんな思いを抱いていたのでしょう。
そして晩年、「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」と、我が人生の行末はしっかりと見定めています。その点では心は透き通っているのです。行き先はお浄土にほかなりません。 浄土願生の人生だからこそ「西行」なのです。
親鸞聖人とは違った形かもしれませんが、聖と俗に揺れる我が心が大いなる心と一つになっていく西行の生きざまに、魅力を感じるのは私だけではないでしょう。
続いて訪れた祇王寺にしろ、滝口寺にしろ、それぞれのお寺の主役たちは皆、出家し、西方浄土に生まれられた方がたでした。苦難の人生の先に希望と喜びの世界を見出して生きられた古人たち―。 熱いものが胸に迫ってきます。(住)
3月27日付の読売新聞に、「チベット仏教 移住で危機」という見出しの記事が載っていました。内容は、中国甘粛省のチベット族が強制移住させられ、その移住先で寺院の建設が認められず、 独自の伝統文化が喪失しつつあるというものでした。紙面には、移転村の画一化された住宅の写真も載っており、私は、改めて、暮らしや文化の背景にある宗教の存在の大きさを思わずにはおれませんでした。
つまり、チベットの人びとにとって、仏教寺院は、何代にもわたって受け継がれてきたいのちの重みときずなを感じるところであり、目に見えない大切なものをかたちや儀礼に表現してきた文化の発信拠点でも あったのです。
寺院が建てられないということは、自分たちの生活に張り合いが失くなることであり、日々の暮らしから潤いが消えるということにもなるのです。チベット僧の焼身自殺が、 この五年間で百人を超えていることからも、その深刻さが伺えます。
これは何も、強権が見え隠れする中国だけの問題ではありません。世界中がグローバル化の波とともに、一つの価値観に寄り集まり、しかも同質の狭い了見の元に、 優劣を競うような社会と生活を繰り広げています。
しかし、地球はもっと広いと私は思うのです。多様な自然があり、人びとが培ってきた文化や歴史も実にさまざまです。目に見えるかたちや、数字、順位で表わされるものの向こうに、 かたちでは表せない心の世界が広がっています。それは文字通り、無限の奥行と幅を持っているものではありませんか? それが宗教となり、文化として表現されるのでしょう。
京都は世界的な観光文化都市であり、その京都に魅力を与えているのは寺院です。しかし、それは単に建物だけの寺院ではありません。その向こうにあるかたちなき仏教文化と先人らの息吹が魅力を 醸し出しているに違いないのです。
そのことは地域社会の寺院にも言えることです。どのお寺も、けっして一朝一夕に出来上がったのではありません。その背景に関心を抱いてもらいたいというのが正直なところです。 画一化、同質化しがちな今の日本の人びとに、チベット仏教の危機は、けっして他国の出来事ではありません。(住)
大王イカという深海に棲む巨大生物が、このところ日本海の水面近くに出没しているらしく、先日も兵庫県の山陰沖で漁師が生け捕りにしたという話です。
ごく最近まで、その存在すら明らかでなかった伝説の生き物が、頻繁に人の目にふれるようになって、「天変地異の前兆では?」と不安視する向きもあるようですが、
見方を変えれば「人間が知らない世界がまだまだたくさんあるよ」と大王イカが知らせに来てくれているとも言えます。
その一方で、人間が自分たちでコントロールできると思い込み、実際にそう錯覚し、扱っているものが増えています。ビットコインと言われるインターネット上の 「仮想通貨」しかり、自分の子どもがほしいとの思いだけで、愛情ぬきで未婚女性が受け取る「精子」しかり、福島第一原発の事故処理がまだ終わらず危険性が高い作業が続いているにもかかわらず、 さも安全性が確保できているかのように振る舞い、原発推進を図る政官財の既得権者しかり――。
しかし、こちらの方は「木を見て森を見ず」と言いますか、自己の知識や限りある智慧でわかったつもりになっているだけで、実は、人間の知識、想像も及ばぬ無限の世界、 あるいは可能性(ケースによっては危険性)を見ようとしない愚かな行為と言えるのではないでしょうか。
人間の向上心を否定するのではありません。そうではなく、私という限りある存在の隣りには無限の大いなる存在、営みがあることを心の中心に置いて おくことが大切ではないか、ということです。
人間の即物的で、表層的な考えと行動では、もはやコントロールできないほど複雑で高度な社会システムの中で生きていることは確かです。人間の心そのものも極めて複雑怪奇だとも言えましょう。 それだけになおのこと、私のいのちが目に見えない厳粛な営みによって支えられ、生かされていることの重みを感じて、涙したいのです。冬の間、微塵もその存在を意識しなかった梅の木に咲いたピンク色の花。 その花々に心和ませながら、しみじみとそう思うのです。 (住)
一月末の新聞に、歴史的発見といってもいい、二つの大きなニュースが報じられました。1つは「STAP」と呼ばれる新型万能細胞の作製に、理化学研究所の研究者らが成功したというニュース。
もう一つは、古代の鏡である「三角縁神獣鏡」の表面を磨き太陽光を当てると、光の反射によって背面の文様が投影されることを、京都国立博物館の実験で初めて明らかになった、というニュースです。
この二つは、人間の物心両面の対極にある営みを表しており、大変興味深いものでした。
物的面からいいますと、人間の科学技術の発展は目を見張るものがあり、特に医療技術は飛躍的です。これまで再生医療として有力視されてきたES細胞やiPS細胞が、
受精卵や遺伝子といったいわば生命(いのち)の操作によって生成されるのに対して、今回の新型万能細胞は、外からの刺激や環境を整えることによって作り出されるものであり、
いのちを道具・手段とすることなく、簡単で安全に生成されるそうです。臓器を取り換える以外に助かる見込みのない患者にとっては朗報であるに違いありません。
しかし一方で、救命と延命の果てに「死なない」体を作り上げることも可能になるわけでしょう。物としての生命に、心で感じるいのちの重み、神聖さがなければ「もぬけの殻」といいますか、
中身が空っぽの人生になりかねません。
もう一つの「鏡」は、目に見えない心のはたらきが、光を通して届けられていることを明らかにしてくれました。卑弥呼の鏡が「三角縁神獣鏡」だといわれますが、
「三種の神器」の1つ「八咫鏡(やたのかがみ)」も大型の三角縁神獣鏡だったかもしれません。かたちはどうであれ、光で投影する「魔鏡」である可能性が高くなりました。
そうだとすると、皇祖神であるアマテラスオオミカミの魂(心)が籠った八咫鏡を、神のお心のはたらきとして代々の天皇が受け取ってこられたということになるのでしょう。
アマテラスは「天照」であり、光です。神が光を通してかたちあるこの世界にはたらいておられるというわけです。
そういえば阿弥陀仏も、量りなき光の仏さまです。いのちからいのちへ受け継いでいく大切なものは何か、改めて考える機縁にしたいものです。(住)
年末の慌ただしい時期に、日本国総理大臣・安倍晋三さんが、「先の戦争」で戦死した「英霊」を祀る靖国神社に参拝した。安倍首相は「二度と再び戦争の惨禍
で人々の苦しむことのない時代を作るとの決意を込めて、不戦の誓いをした」と述べたそうだが、それが本心だとしても、思いとは逆に、隣国の中国や韓国は猛 反発。
中国では、戦争がいつ起きてもおかしくない状況になったと見ているようだ。少なくとも、平和を願う参拝が、戦争の危険性をはらむ行為になっていることだけは間違いなさそうだ。
首相にすれば、日本国家のために「赤紙一つで戦場に駆り出され、恐怖と絶望の中で死んでいった犠牲者に、国として誠意を尽くしたい」という思いなのだろう。
しかし、それこそが国家主義であることを、多くの日本人は理解していない。すなわち「国家のために個人が尽くすこと」が求められ、国家も「国民(個人) をわが子のように慈しみ守ること」
という関係性が依然としてあるのだ。つまり、原則的に国家が個人に優先する関係である。国家の行為の責任と個々人の責任
は、別々のものではなく、横に一つにつながっているのが民主主義の社会であるが、
そうではなく、基本的に国家と個人が別々の存在であり、つながりがあったとしても上下関係になっているのが今の日本社会だ。故人の死を悼み、平和を願うのは国の行為ではなく、個人の信仰において行うべきである。
それが尊重されるのが民主主義だろう。
改めて、日本人の精神性は戦前も戦後もあまり変わっていないことがわかる。最近とみに、顕在化しているのだが、それは、オリンピック選手が「日の丸を背 負う重み」を口にし、
組織に属する者は、組織を守るために個人を犠牲にすることを強いられ、逆に力があれば、楽天の田中投手のように、制度を変えさせて大 リーグ行きを実現できるようにもなる。
まさに、力次第で世の中を動かせるのであり、力なき庶民は、訴える個々の声も大きな潮流に飲み込まれて、埋没してしまう社会だと言うことだ。「一切の生きとし生けるものは皆仏さま」
と尊重し合える社会は遠いのだろうか。(住)