映画『エンディングノート』に想うこと

あなたは「エンディングノート」に何を書きますか?

映画「エンディングノート」のDVD版が発売されました。

http://www.ending-note.com/


エンディングノート

この映画は、元サラリーマンが送った人生最期の数カ月間?のドキュメントです。癌で余命少ないことを自覚した六十代後半の男性は、人生を閉じるにあたって、自分流に死の準備を始めます。その様子が、実の娘が撮ったビデオに記録され、それが生々しく映し出されます。

主人公の「父」が、まず行ったことは、葬儀場選びです。選んだのは都内の教会。一応、牧師からキリスト教の教えを聞きますが、信仰心があるわけではなく、交通の便がよく、感じがよい所というのが選定理由でした。

「葬儀は近親者で行うこと」とし、その他、具体的にどうしてほしいかを父は家族に告げます。

そして、家族と過ごす時間、特に孫たちと過ごす時間を大切にしようと心に決め、実行します。

事実、残された日々を、家族と触れ合い、会話し、ともに行動することが何よりも本人を活き活きとさせているのが、映像を通して伝わってきました。

愛してるよ

亡くなる三日前のシーンは印象的でした。病院のベッドで、差し迫った死を感じつつ、父が最後の力を振り絞って母に告白します。―「愛してるよ」―。これがカメラを回す娘にとって、父から聞いた初めての母への愛の言葉でした。夫の言葉に、妻は「私も一緒に(あの世に)行きたい。もっともっと大切にしてあげればよかった。でも、今はもう遅い」と応え、懺悔の涙をこぼします。クライマックスと言える場面です。

結局、「人と人が信頼し合い、支え合う」―そうした絆が、人に温もりを与えるかけがえのないものであり、最後まで残るものである―映画はそう語っているようでした。

要するに、この映画は、自らが描いた人生最期の計画をほぼ理想通りに実行し、そして終えていった人物の記録映画なのです。

遺言状の書き方の本が出回る時代であり、自分のお墓を生前に建てる人が少なくない時代になりました。そうした物や形の整理だけでなく、いかに「心置きなく死んでいけるか」という心の整理に、人びとの関心が向いてきたことを感じさせる映画と言えましょう。

ところで、あなたは父に共感できますか?

しかし、実際は、自らが描いたように人生を終えることが、はたして何人の人にできるでしょうか?

思うようにならない人生を送ってきた人にとっては、きっと大いなる疑問だと思います。

それができるのは恵まれた人間であり、自分は当てはまらないと思う人が大半でしょう。

それでも、やはり現代の傾向とすると、人生の終え方、死に方に関心の目が行きつつあることは事実でしょう。僧侶としても「死」をダブー視しなくなった点は、評価したいと思います。

歩むべきは、死が希望に満ちた生になる世界


  とは言え、現代の人たちの「死」の捉え方が「人生の終わり」を意味していることに変わりはありません。生と死の価値観は変わっていないのです。つまり、現世の「生」にしか価値を見い出さず、「死」は無価値なものになっているということです。

昔は、違っていました。現世の「生」は、たった一つの「生」に過ぎなかったのです。だから「一生」なのであり、「多生」の中の「一生」なのです。そして次の「生」で、「もう二度と死ぬことのない」永遠のいのちがいきづく「浄土」へ生まれることを願ったものなのです。

「死」を終わりではなく、新たな「生」と位置付けていくことの智慧。その普遍性が宗教です。昔の人びとは、死の向うに明るい希望を見い出していたのでした。そして、亡き人も過去の存在ではなく、浄土で今も私をしっかりと見ていて護ってくれていると思ったのでした。「死」が滅亡ではなく、希望に満ちた「生」に転換されている―。それが「浄土に生まれる」ことの意味であり、すばらしさです。現代人に欠けているこの発想を今一度、呼び覚ましてほしいものです。

ところで、実は「浄土に生まれて仏さまになる」という普遍的な「生」を噛みしめるところが、仏さまを象徴する仏塔です。遺骨を通して、亡き人が仏さまとともに永遠の「生」を私に知らしめてくださる―その意義を仏塔納骨に見い出してみてはいかがでしょうか?

 

「ナムのひろば」ウェブマスター 記す

「エンディングノート」というのは、遺言状のように法律によってその内容を保証されたものではなく、私的な想い、願いを記しておくものだとされています。

生前にお墓を決めておきたい、ということも、「エンディングノート」にわが想いを記すのと似たような感覚だと思います。

「エンディングノート」に何を記すのかと言えば、多くは、自分の葬儀の会場や内容、会葬者への対応。

そして、人間関係や仕事などの引き継ぎであったり、貯金のことであったりと、その人の生活全般に関して、家族に申し送りするべき事柄を記していきます。

大切なのは、事務的な情報の引き継ぎのように見えても、それが先に逝く人から残される人へと、愛情を伝える手段になっていることです。

生活を共有した者、血のつながりを共有した者、情念を共有した者、仕事を共有した者へ、伝えておくべきこと。

人にはいろんなつながりがあります。死によってその関係が「断ち切られるのか?」それとも「感謝と再生のエネルギーに転換されていくのか?」。

「エンディングノート」に自分の姿を記していくことが、やはり後者の世界につながってほしいと思います。

お近くのお寺に行って、「ところで住職さん、いのちって何ですか?」と尋ねてみることも大いに良いことだと思います。私たち各人が記す「エンディングノート」の言葉が人に伝わり、悲しみが喜びに生まれ変わっていくようにしたいものですね。

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