仏塔(ストゥーパ)のある景色

仏塔(ストゥーパ)のある景色

 

仏塔は、何のためにあるのでしょう?世界中にあって、そこに生きる人たちが心のよりどころにしている、この不思議な造形物について、その歴史を振り返ってみましょう。

 

クシナガルのラマバール・ストゥーパ Ramabhar Stupa
写真:クシナガルのラマバール・ストゥーパ Ramabhar Stupa

仏塔は、もともとは仏舎利塔のことで、お釈迦さま(仏)の死後、火葬された遺骨(舎利)を納め造立したストゥーパ(塔)のこと。

わかりやすく言えば、仏教を開かれたお釈迦さまのお墓です。当初の形は、お碗を覆せたような素朴な覆鉢型(※①ラマバール・ストゥーパ=クシナガル)で、信者たちには、お釈迦さまを慕い仰ぐ礼拝施設として位置付けられていたようです。

半球状の覆鉢は、宇宙の永遠性を連想させ、涅槃(さとり)の世界を表していると言われます。

 

時代が下ると、ストゥーパに門や欄楯(らんじゅん)が施され、お釈迦さまにまつわる物語(前生譚や仏伝)が浮彫で表現されるようになります。

 

サンチーの第一仏塔
写真:サンチーの第一仏塔
サンチーの第三仏塔
写真:サンチーの第三仏塔

 

お釈迦さまを知らない後世の仏教徒に、お釈迦さまがどんなにすばらしい方であったかを知らせるためでした(※②サンチーの第1仏塔)。

 

ユネスコのサンチー紹介ページはコチラ→ http://whc.unesco.org/en/list/524/

 

アジャンタのチャイティア窟のストゥーパ:ajanta
写真:アジャンタのチャイティア窟のストゥーパ:ajanta

その後、元来、別であった出家者の修行場兼住居の僧院と、信者(主に在家者)の礼拝施設であるストゥーパが一つの場所に設けられるようになり、伽藍(寺院)ができ上がります。

 

デカン高原などでは、アジャンタやエローナといった石窟寺院が多数造られますが、窟内にストゥーパが造立され(※③アジャンタのチャイティア窟のストゥーパ)、出家者(僧)も礼拝するようになります。

 

その頃から、仏像が造られるようになり、ストゥーパとは別に、仏像を中心とした仏殿で礼拝が行われるようになります。徐々に、礼拝の対象がストゥーパから仏像に移行していったことが考えられます。

 

スリランカの古い都・ポロンナルワのランコトゥ・ヴィハーラ(黄金仏塔)Polonnaruwa・ Ran Kot Vehera
写真:スリランカの古い都・ポロンナルワのランコトゥ・ヴィハーラ(黄金仏塔)Polonnaruwa・ Ran Kot Vehera stupa
ミャンマーの旧首都ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ Yangon・Shwedagon Pagoda
写真:ミャンマーの旧首都ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダ Yangon・Shwedagon Pagoda (stupa)

 

しかし、基本的にインドや周辺諸国の仏塔は、多少の変形はあるにせよ、半球状の覆鉢型を保ちながら、永遠なる悟りの世界を象徴する礼拝施設として受け継がれてきたことに変わりはありませんでした(※④⑤スリランカやミャンマーの仏塔)。

東寺の五重塔 kyoto toji-temple five story pagoda
写真:東寺の五重塔 kyoto toji-temple five story pagoda
(stupa)。写っているのは、千葉県のスリランカ仏教寺院・蘭華寺のソーマシリ師

中国、日本に仏教が伝わると、仏塔は大きく変化します。形は半球状から正方形で幾重にもかさなった木造の楼閣建築物などが現われます。いわゆる五重塔、三重塔がそれです。

また、石造の十三重塔や五輪塔、宝篋印塔といった供養墓もさかんに造られました。

なお、仏塔に納めるのも、当初は、お釈迦さまの遺骨だったものの、後には、宝石や経文なども納められるようになりました。

 

Fin.

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